Good Old Days - The Emergence of the Japanese Racing Machines

【伊藤史朗】

伊藤史朗(いとうふみお)は、1939年10月10日東京都生まれ。無名の新人だったが、第1回浅間高原レースの250ccクラスにライラックで出場して優勝し、一躍注目を集めることになった。
1957年にはヤマハの契約ライダーとなり、第2回浅間火山レースには250ccの工場レーサー(YD1A改)で出場したがリタイア。1958年にはカタリナGP(アメリカ、ロサンゼルス沖合いの小島で開催)にYD1Aで出場し、6位に入賞。
1959年の第3回浅間火山レースにはBMWで500ccクラスに出場して優勝を飾り、翌年はBMWの500ccでフランスGPに出場し、6位に入賞。
1961、1963年はヤマハの契約ライダーとして世界GPを転戦。1963年には世界GP250ccクラスのランキング3位を獲得。最終戦の日本GPではJ・レッドマン(ホンダ)、P・リード(ヤマハ)との三つ巴の激戦を展開したが、惜しくも0.1秒差でレッドマンに敗れ、2位となった。
そして、このレースを最後に『天才ライダー』伊藤史朗は突然失踪。以後20年あまり消息不明となっていたが、現在はアメリカで第2の人生を送っているようである。

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