Zell am Seeの駅舎
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ピンツガウアーバーン(Pinzgauerbahn)

モーツァルトの生地・ザルツブルクから
チロル地方の中核都市・インスブルックへ。
同じオーストリアにありながら
この二つの都市を結ぶ交通は、一度ドイツを経由するのが普通だ。
ザルツブルグのすぐ西で国境を越え
100km ばかり走った後ふたたびオーストリアに入り
イン川に沿って70kmほど走るというコースである。

一度も国境を越えずに済まそうとすると、クルマも列車も
ザルツブルグの南西に大きく張り出した国境を避けなければならない。
雪溶け水をたたえた谷沿いにアルプスのふところに分け入り
いくつかの峠や山あいの小さな町を経た後
イン川沿いの平地に降りるのである。

その山岳区間のほぼ中央に
ツェル・アム・ゼー(Zell am See)の町はある。
アム・ゼーというのは『湖に臨んだ』というような意味だ。
ドイツのフランクフルト・アム・マイン
フランスのサン・ポール・ドゥ・ヴァンスなど
ヨーロッパにはこのテの地名が結構多い。

U字谷越しにGrossgrocknerを望む
北側をキッツビューエラー・アルペンに
南側をタウエルン・アルペンに挟まれたツェル・アム・ゼーの町は
登山やスキーの基地として知られている。
オーストリア最高峰のグロスグロックナーや
その麓に広がるホーヘ・タウエルン国立公園への入り口だから
一年中、登山客や観光客が絶えることはない。

ザルツブルクからの列車は、ザルツァッハ川に沿って南下する。
しばらく南下すると、今度は川とともに大きく西に回り込み
ツェル・アム・ゼーの一駅手前でザルツァッハ川と別れ
そこから直角に北に向かい、湖のほとりに停車する。
オーストリア国鉄(OeBB)には美しい駅が多いが
中でもこの駅は最上位にランクされるべきだろう。
新しく、清潔感あふれる、山への入り口にふさわしい瀟洒な駅舎だ。

車窓右手に湖が見え、列車が速度を落とすちょうどその頃
反対側を見ると、木立の中から一本のナロー・ゲージが現われる。
これこそ、本線があきらめたザルツァッハ川沿いの道をたどり
キッツビューエラーとタウエルンの
両アルプスに挟まれたピンツガウ平地を
その最奥部まで進んで行く鉄路なのである。

DL牽引の貨客混合列車 (JPEG 44.6KB)
トーマス・クックのタイムテーブルにも出ているが
ツェル・アム・ゼーから
終点のクリンムル(KRIMML)までの
54kmを約1時間半かかって走る
のどかな軽便鉄道・ピンツガウアー・バーン。

夏には、保存されているSLの運行が週に何日かある。
それがなくても、そして、鉄道マニアでなくても
ツェル・アム・ゼーから一駅めにある機関区兼貨物駅に行けば
時代に取り残されたような
しかし、れっきとしたオーストリア国鉄の支線である
このちっぽけな鉄道に興味をそそられるに違いない。

何より珍しいのは、標準軌(1435mmゲージ)の本線の貨物を
積み替えることなく、貨車ごと
762 mmゲージの支線に乗り入れさせるための専用の台車と
本線の貨車をそれに載せる作業である。
だから、この支線の貨物列車は、見ていて恐ろしいほど重心が高い。
新幹線の車両を在来線のレールの上で走らせるよりも
はるかに不安定なのである。

道端にあったautoschleuseの標識
インスブルックからタウエルンへの道

ピンツガウアー・バーンの存在を知ったのは、ほんの偶然からだ。
いつだったか、仕事でウィーンのほぼ真北にある
チェコのブルノへ行ったときだった。
少し早めにフランクフルトに着いたので
スイスからイタリア、オーストリアと
駆け足で山岳ドライブを楽しむことにしたのだ。

前日、バーゼルからスイスに入り、インスブルックに出てから
ドイツとイタリアを結ぶブレンナー・アウトバーンを北上し
ドイツとの国境近くのモーテルに泊まったボクは
この日、ホーヘ・タウエルンを越えてオーストリアの南端に出
そこからぐるっと東に回ってウィーンに行くことにした。

なぜ、こんなに遠回りをする気になったかというと
ミシュランの道路地図(1/1,000,000 道路地図)を見ていて
4本あるホーヘ・タウエルン越えルートのうち1本に
『クルマが無蓋貨車に乗ったマーク』がついているのを見つけたからだ。
スイスにはそのマーク、つまり、アウトシュロイゼ(=自動車搬送列車)が
いくつかあるのを知っていたが、オーストリアにあるのは知らなかった。

PinzgauerbahnのSL列車 (JPEG 42.3KB)
鉄道を無視したミシュランの道路地図に出ているのだから
これはきっとフェリーの感覚で簡単に乗れるはずだと思いつつ
時間がなかったり、鉄道には興味のない同業者を乗せていたりで
今まで、乗るチャンスはなかった。
が、幸い、このときは、ウィーンまでは気ままなひとり旅。
こうなると、アウトシュロイゼに乗るのは
もう、ほとんど義務に近い感覚といってよかった。

15年間ほとんど眠っていた『鉄ちゃん』の血が
ふつふつと沸き立ってくるのを感じながらドライブしていたボクは
それゆえ、キッツビューエラー・アルペンを越え
ツェル・アム・ゼーへ向かう途中の道路に
ときおり近づいてくるナローゲージらしき線路と
離れてはいても、ある種の人間には何となくそれとわかる
『鉄道のありそうな風景』を見逃しはしなかった。

だが、このときは、アウトシュロイゼに乗るのが先決だった。
ボクは、地図に丸印を付け『ナローゲージ』と書き込んだだけで
実態を確かめることなくバッド・ガスタイン目指して走り去った。
山あいの温泉地は、クルマでごった返していた。
観光客と思しきクルマの約半数がドイツナンバーだった。

静かな山間のBoeckstein駅
どこからともなく湯気の香りが漂ってくる
山の斜面にへばりついたようなバッド・ガスタインの街を抜け
狭いつづらおれの坂道を登ると急に視界が開けた。
山あいにできた小さな平地だった。
緑のじゅうたんが黄色のタンポポで縁どられている。
その縁どりに沿って進んでいくと、駅に出た。

駅といっても、2本のホームと小さな小屋のような駅舎があるだけ。
どちらかというと信号所といった感じである。
駅舎の横からホームと平行に、細長い駐車場が延びている。
駅舎の前でクルマを降り、搬送列車の時刻を調べ
終点のマルニッツ(Mallnitz)までの切符を買ったボクは
駐車場の先のほうで列車を待つ車の列に並んだ。

駐車場の長さからして、夏には利用客が多いのだろう。
しかし、この日のベックシュタイン(Boeckstein)は
小鳥のさえずりと小川のせせらぎしか聞こえない
静かな山あいの駅だった。
静寂を破るのは、ときおり通過する列車の通過音と
トンネルに入るときに鳴らす汽笛だけ。
ヒョーーッという独特の汽笛が次第に減衰しながら
何度も何度も周囲の山々にこだましていた。

Autoschleuseの到着風景 (JPEG 36.5KB)
アウトシュロイゼ (Autoschleuse)

かれこれ1時間ほど待っただろうか
トンネルの向こうから電気機関車が牽く搬送列車がやってきた。
機関車+無蓋貨車+カーキャリア+無蓋貨車という編成だ。
連結部分には板が渡され、車両づたいに車が移動できる。
両端の無蓋貨車の側面にはウィングが付いていて
それを開くとホームとの隙間がなくなる仕掛けだ。

列車が停まると間もなく駅員が現われ
先頭の車をホームへ登るスロープへと誘導する。
前の車に続いてホームに登り、ウィングを伝って無蓋貨車に乗った。
ただの四角い鉄枠に台車が付いているだけの無蓋貨車で
乗ったとたんに車を貨車と平行にしないと反対側に転落しそうだから
どの車のドライバーもみな慎重だ。

何両かの無蓋貨車を伝ってカーキャリアに乗り移る。
カーキャリアといっても屋根や壁があるわけではなく
無蓋貨車の上にアーチ状の鉄骨を並べただけ。
車を固定するフックもなければ照明もない。
とりあえずギアをバックに入れ
ハンドブレーキを思い切り引いて準備は完了。

Autoschleuseの、車内?
並んでいた全部の車が乗り込んでしばらくすると
列車は何の前ぶれもなく動きだした。
ただ運転席に座っているだけで
何もしないのに車が動きだすのは妙な気分である。
駅を出るとすぐにトンネルに入った。
トンネル内にも照明はまったくないから、真っ暗闇だ。

けっこうスピードは出ていて
トンネルの中だからよけいに速く感じる。
小径の車輪の割には振動は小さいが、騒音はけたたましく
左右にはけっこう激しく揺れる。

こういった、一歩間違えるととんでもなく危険な状況でも
無用なおせっかいを焼かないところがヨーロッパ的。
危機管理は、やはり個人に任せたほうが
人間は成長するんじゃないかと思う。
たとえそんなに難しいことを考えなくても
いちいち世話を焼かれたのでは煩わしいし
旅の楽しさも半減する。

マルニッツに到着 (JPEG 41.8KB)
数分でタウエルントンネルを抜けた列車は
左に大きくカーブしながら急な下り坂を駆け下り
ほどなくマルニッツの駅に停車した。
今度は最後尾の無蓋貨車のウィングが開き
乗ったときと同じ順番でホームに降りた。

ザルツブルクとケルンテンの州境をなす
オーストリアアルプスの主峰を越えたからか
マルニッツの町には、日だまりのような
心地よい午後の空気が漂っていた。
もう一山越えてアドリア海まで
直線距離にして100kmちょっとしかなかった。

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