48 ラインラントでガストホッフ探し


WさんのBA910便は定刻に到着した。
6月13日のドイツGP、26日のオランダGP
そして7月4日のヨーロッパGP(カタルーニャ)と
同じ3レースを取材するのに
Wさんはドイツとオランダの間に一度帰国している。
みんなのフィルムを運んでくれた彼のおかげで
カメラマンの諸先生がたやボクの撮ったドイツGPの写真が
24日発売の雑誌に載ったのだ。

成田からVS901とBA910を乗り継いで
フランクフルト入りしたのに
全然疲れたようすがないところが
本職のスキーや山の撮影で鍛えたWさんらしい。
Wさんの荷物をクルマまで運び
そのまま、またしても[A3]を西に向かって走りだす。
どこかに泊まるアテはなかった。
こっちが気を使って、ibisやARCADEなどの
チェーンホテルにしようと思っていた矢先
「民宿みたいなところでいいですよ」とWさん。

それじゃぁ…、ということで、我々は
100kmほど走ったところでアウトバーンを降り
走ったことのない一般道に進路を向けた。
「小さな街でも、必ず1軒は宿屋がありますから…」
ボクがそう言うが早いか
最初にさしかかった町の入り口に
1軒目のガストホッフはあった。


田舎の典型的な
そしてボクがドイツで
最も気に入っている
ガストホッフ“Zum Ross”。
Europark表紙のデザートは
ここのレストランのもの。
場所は、この話には出てこない
Romantischstrasseに沿った
Feuchtwangen郊外。


平日の夜10時だというのに
1階のレストランは客でごった返していた。
ほとんどの客は、何も食べずに
ただひたすらビールを飲みながらしゃべっている。

バーのカウンターの中に主人らしき男がいたので
「ハーベンズィー アインツィンマーフライ?」と
“6ヶ国語会話”まる出しで聞いてみた。
他はほとんどしゃべれなくても
こればかり使っていてウマくなったのか
相手に、ドイツ語がわかるヤツだと勘違いさせたらしい。
いきなり、難解なドイツ語の波状攻撃を食らった。

簡単なあいさつ以外
ドイツ語で会話したことなんかなかったのに
わかるふりをして、よーく耳を澄ませて聞いてみると
「ナイン」という否定を表わす言葉の次に
「ホテル」と「シュトラッセ」と「リンクス」と
「フュンフキロメター」という
4つの単語が聴きとれた。これと手振りだけで十分だった。
「この道をまっすぐ行って
左に曲がって5kmのところに別のホテルがあるそうです」
ボクがそう言うと、Wさんは感心した。
何だか自分でもドイツ語がわかったようないい気分だった。

再びフォード・モンデオに乗った我々は
明かりひとつない森の中の道を進み
次の十字路を左に曲がった。
十数軒の民家が集まった小さな集落の入り口に
教えてもらったホテルがあった。
なるほど、普通のガストホッフよりはちょっとグレードが高い。
道に面して左右に伸びた建物は
1階がレストランで2・3階が客室のようだ。
1階の出窓では
よく手入れされた赤やピンクのアイビーゼラニウムが咲き誇り
白いレースのカーテン越しに中のようすが見える。

客は少なかった。
テーブルに1組、奥のカウンターに数人といったところか。
カウンターの中にいるオヤジがここの主人だろう。
建物の中央にある木のドアを開けて中に入り
またしても「ハーベン ズィー…」と聞いてみた。
オヤジの顔色では脈ありだった。
が、オヤジは「アイン モメント」とか何とか言って
ちょっと離れたところにいる彼の妻らしい女性と何か相談した。
戻ってきたオヤジの答えは「ナイン…」だった。

空部屋があるのに泊めたくないのは明白だった。
午後11時に突然やってきた正体不明の東洋人二人組みを
警戒せずに泊めろというほうが虫が良すぎるのかもしれない。
このテの“ベッド付きレストラン”は
看板とは関係なく、レストランが本業で
宿の提供はおまけみたいなものだから
客室の用意がまったくできていないこともあるのだろう。
ガストホッフや田舎のホテルに泊まるには
やや時間が遅すぎたようだ。


フランクフルトから先も
最初は[A3]を西に向かったが
田舎町のガストホッフを探すため
Limburgで一般道[8]に降り
ライン川の北側に連なる
丘陵地帯を走った。


クルマに戻って地図を見る。
現在地は、どうやらボンの手前50km程度の山の中らしい。
Altenkirchenという、古い教会を連想させる名前の町の近くだ。
とりあえずAltenkirchenの町で宿を探し
なければ再びアウトバーンに乗ってケルンまで行き
以前ボクが泊まったことのある
アルカデに泊まることでWさんと合意し
野うさぎやイタチが頻繁に横断する森の中の道を走りだした。

結局、Altenkirchenの街中を含めて
3軒のガストホッフを当ったが
どこも、明らかに空部屋がありそうなのに
我々を泊めようとはしなかった。
仕方なくケルンまで走り、Hotel Arcadeに着いたときは
すでに午前0時をまわっていた。
Kさんとの約束は、明日(6月23日)の正午に
デュッセルドルフ中央駅だったので
ここまで来れば遅れる心配はない。
ケルン〜デュッセルドルフ間は30kmしか離れていないのだ。