61 シャモニーにて

シャモニーには6月27日の午後10時前に着いた。
アムステルダムから10時間少々、1040kmのドライブだった。


コル・デ・モンテから
シャモニーは近い。
マルティニの隣町から
シャモニーに至るナローゲージと
同じ谷を下っていくため
ときおり線路を横切ったり
駅前を通過したりしながら
ぐんぐん高度を下げていく。


シャモニーには着いたものの
目指すMさんのアパートの場所をわれわれは知らない。
Wさんは、Mさんや別の知人に電話をするが通じない。

こんなときに役立つのが日本料理屋だ。
Wさんによると、シャモニーみたいな小さな街では
日本料理屋に行けば
そこに住む日本人のようすはたいていわかるそうだ。
われわれは町の中心部にある日本料理屋
“さつき”(だったかな?)に入った。
予想どおり、おかみさんは常連客の動向に精通していた。
われわれがオランダGPの取材を終えてきたことを告げると
「早いですねぇ。Tさんたちはまだ帰ってきてませんよ」とのこと。

Wさんが日本スキー写真家協会の会員だとわかると
“カメラマンの誰某はどこそこの山に取材に行ってる”とか
“誰某選手は今年はシャモニーには来ないのだ”とか
その世界とはほとんど縁のないボクにはわからない噂話に花が咲く。
山岳写真の大御所・M先生は
「小屋に籠って、朝焼けのモンブランが撮れるまで
下りてこない」のだそうだ。

「どこか、近所に安いホテルはありませんかねぇ…?」と聞くと
店のすぐ裏手にあるHotel de l'Arve を紹介してくれた。
さっそく行ってみると、4F建て・客室数20少々の
小さなホテルだった。
少々高くても泊まる気になっていたわれわれは
値段を聞いて安心した。
ツインに2泊で、トータル500フランスフラン(約10,000円)だった。
外観はどの面も正方形に近い総4階建てで
各階の客室にバルコニーがある
アルプス山中の典型的なプチホテルだ。
裏手にはArve川があり、瑪瑙色をした雪溶け水が轟々と流れている。

翌朝目覚めると、モンブランはすでに
かなり高く昇った陽光を受けて真っ白に輝いていた。


山には疎いので
これがホントにモンブランだという
100%の自信はない。
地図で見るとモンブランらしいが
山頂にデカい建物があるなんて
このときまで知らなかった。


ホテルの玄関には、直径50cm、長さ5mほどの
丸太をくり抜いたプランターがあり
ゼラニウムの花が植わっている。
向かいの民家のバルコニーからは
色とりどりのハンギングバスケットがぶら下がっていて
その1個1個に水をやりながら、老夫婦が花の手入れをしている。

“さつき”で朝食をとったわれわれは
まず、Tさんに電話をし、訪ねることにした。
シャモニーの目抜き通りの裏手に
彼の夏のオフィス兼住居はあった。
鉄筋コンクリート5F建ての、日本でいうマンションだ。
中は、日本ふうにいうと2LDK。
15畳ほどのリビングを中心に、6畳ほどの寝室と仕事場がある。
夏の仕事場をシャモニーに決めて長いTさんに言わせると
「眺めが良くて建物が新しいから
この程度の広さで月10万円程度もする」らしい。

なるほど、眺めは最高だ。
バルコニーに立つと、真正面にモンブランがそびえ
そこから左に、グランド・ジョラスをはじめとする
モンブラン山群が連なっている。
ところどころで、ロープウェイの搬器が
鮮やかな色を反射させている。
モンブランの真下にはシャモニーの街が見え
いたるところでアパートやホテルの建設が行われている。
近い将来に施行される全面禁止を控え、最後の新規開発の途中らしい。

WさんをTさんの仕事場に送ってきたところで
ボクのこの日の役目は終わりだ。
今日はこれから、Wさんをシャモニーに残し
ボクは、ブリュッセル近郊のアールストまで往復しなければならない。
アールストに本拠地のあるチームで働く日本人女性・M嬢と
デートの約束をしていたからである。

WさんやTさんらに見送られ
6月28日、午前10時40分にシャモニーの町をスタートした。
片道850kmだから、夕食までにはブリュッセルに着けるだろう…。