インタビュアー堀井憲一郎Presents『若手落語家インタビュー』江戸方二ッ目に話を聞く
第1回 柳家小せん
柳家小せん 柳家小せん
Yanagiya Kosen

小せんブログ
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1974年6月生まれ 横浜市戸塚出身
1997年 大学卒業後、鈴々舎馬桜に入門
1997年4月1日より前座。前座名・鈴々舎わか馬
2000年6月 わか馬のまま二ツ目昇進
2006年1月 鈴々舎馬風門下に移門
2010年9月 真打昇進。五代目柳家小せんを襲名
 2010年9月に真打に昇進して、五代目柳家小せんを襲名。
 インタビューはその昇進の少し前、8月末、35度超えの酷暑のおり、矢来町にある和室でおこないました。インタビュー当時はまだ昇進前、二ツ目で鈴々舎わか馬だったため本文中のやりとりは、ほとんど鈴々舎わか馬と呼んでいます。
 インタビュアーは堀井憲一郎。以下、−から始まっているのが堀井の発言、かぎカッコで区切られた発言がわか馬さんの発言。

●うまい落語は「ちゃんと絵が見えて、綺麗で心地いいこと」

− いきなりですけれど、わか馬さんにとって“うまい落語”、“落語がうまい”ってどういうことでしょうか。

「おっと。いきなりですね。うまい落語、ですか」

− はい。うまい、落語。

「んー、そうですね、やっぱり絵が見えるってことでしょう。情景であったり人物であったり、その絵がちゃんと見える、つまりこっちが意図したことを想像させることがでくるっていうのが、うまいってことですかね」

− 情景ですか。

「人物もそうだし情景もそうですよ。まあテクニック的にってことですけど。うまいってのは、つまりテクニックに長けているってことで。だからそういう描写のちゃんとできる人」

− わか馬さんから見て、若い人でうまいなとおもう噺家さんは誰ですか。

「……うーん、筆頭に挙げたいのは扇辰アニィですね……、扇辰、萬窓……、三三アニィもそうだ………、うまいの要素のもうひとつは“心地いい”ってことかな。うん。ちゃんと想像させて絵が見えて、なおそれが綺麗であること…、そうですね……、心地いいも大事ですね…、絵としても音としても心地いいものがうまい、ですね」(扇辰は入船亭扇辰、萬窓は三遊亭萬窓、三三は柳家三三)

− わか馬さん自身は「うまい落語」を目指してますか。

「…うまいというのは欲しいです。でも目標ではないですね」

− ふうむ。目標は何ですか。

「おもしろい、ですね。おもしろい。心地いい。“チカラの抜けた意味でおもしろい”がいいですね(笑)」

− 抜けたおもしろさですね(一緒に笑う)。ということは、うまいね、と言われるより、おもしろいね、と言われたいってことですかね。

「うん。そうですね。うまいは大事だけど、うまいが先に立って見えたらいけない気がする。少なくとも“私うまいでしょ”という気持ちでやったらそれは大間違いだとおもうし、それに“あ、お上手ですね”という印象が持たれちゃったら、それは残念ですよね。でもね、楽しませるためには、うまくなきゃいけないんです。うまくなりたいです」

− うまさも大事ですよね。

「はい。うまくなきゃ芸人はダメだとはおもわないし、うまい範疇を超えたところで凄いおもしろい人は沢山いますからね。でも、自分のニンとかフラを考えたときに、わたしは、うまくならなきゃいけない、とおもいます。でも、目標じゃない。うまい落語家さんだね、と言われてもそれだけじゃ……」

− たしかにいろんな噺家さんを見てると、落語はうまいっちゃうまいけれど、でもなんか届かないなあ、という人をいっぱい見ますからね。団体でいますね(笑う)。

「だ、団体、なんだ(笑う)……、いやだからね、努力はしても、その努力のあとが見えちゃいけないとおもうし、私はいやなんですね。だからいま、たとえばで挙げた扇辰アニイとか萬窓アニイとか、うまいなっておもうけど、それが前面に出てないですよね、それが“ちゃんとしたうまさ”なんだとおもいますよ」

− たしかにうまいだけの噺家さんではないですよね。

「私は気取り屋なんですかね。いえ、だって、こう、がんばってますよとか、そういう努力のあととか、でっきるだけ見えないようにしたいっておもっていて、なんかそれも自分のいやらしいところにもおもえますけど」

− そういうスタイルの表現者は、落語にかぎらずあらゆる表現分野にいますよね。というかふつうのスタイルだとおもいますけど。

●卑怯なギャグをおっぽり込んだりしてます

− わか馬さんが落語をやるときに気をつけてる空気感ってのはありますか。

「それは、固くならない固くさせない(笑)。これはのべつマクラでも言ってますが、客が力を入れて“さあ聞くぞ!”ってなってると、いや違う違う、楽しみに来てるんですよね、っておもっちゃう。自分も客だったときにはすごくマニアックに聞いてたってのがあるんで、そういう聞き方はすごくよくわかるし、たとえば初めて聞く噺にに出遭って、よっしゃこの噺が聞けた、なんておもう、その楽しみはすごくわかりますよ。自分もそうだったんだから。でもね、演じるほうとしてはそっちに走っちゃいかんなとおもうんですよ」

− マニアも認めるけど、マニア向けにはならないってことですか。

「そうですね。よく知ってる噺を知ってるようにやったって、楽しませる、そういう腕を持ちたいな、とおもいます」

− 本格的な、ということですね。

「いやいやいやいや(笑)それが本当にできりゃ苦労しないですよ。実際そういう腕がないから、卑怯なギャグとか入れて、何とかしようとしてるんですけど」

− 卑怯って(笑い)そんな卑怯なギャグとか入れてましたっけ。

「まあ自分なりの新しいギャグというか、まあ卑怯なギャグですよ(笑い)。とにかく基本的には、ああ楽しいねとおもってもらいたい。それはマニアックな人も、落語ってどんなもんだんべと初めて聞いた人にも、楽しいねと持ち帰ってもらえるように、というのは、考えています。それは寄席の二ツ目に出たときでも、独演会で大ネタやるときでも、いつもおもってます」

− やはりそれなりの工夫や努力は重ねてるわけですよね。あたりまえか。

「いやまあ、これをやってる、というような確たるものはないですけど……、でもまあ、いつもなんか考えてますよ。そりゃまあ噺家みんな考えてるでしょうけれど、わたしも、あーでもない、こーでもないと…」

− ネタを変えようとしてるわけですか。

「いや、変えるっていうか……そう……ですねえ……新しい噺やるときとか、さらい直すとき、ぼくは台本を書かないんで、頭ん中でざっと組み上げてるんですけど、それをバラしたり、言葉入れ替えたり……」

− 古典落語の言葉を変えていくんですか。

「そう…です…ね、古典ですけど、言ってて言いやすいように、言葉の出し入れとか言い換えを、もにょもにょもにょもにょ、やってますね。さっき言った“当たり前の噺をみんな知ってるようにやって受ける”というのと矛盾してくるんですが、噺の中で何かひとつは自分なりのオリジナルな部分を入れたいと、考えてるんです。他では聞かないくすぐりであったり、ものの見方であったり、ちょっとしたつっこみ部分の言葉であったり、人がやらないような、まあマニアックな目線でみて“おお”と手を打つような、そういう何かをひとつ、噺の中に入れたいな、とおもってやってるんですね。これどうでしょうという、そういう勝負に出てることは多々あります」

− それは具体的にはどういう?

「たとえば……『あくび指南』でいろんな欠伸を入れたり……」

− あー、あの、風林火山の欠伸(笑)!

「…はい(笑)。それから『千早振る』では、広沢虎造先生の節をまねて唸ってみたりとか……、そんなまあ現段階では、そういう卑怯なくすぐりをおっぽりこんでるだけですけど」

− 卑怯と言わなくてもいい気はするけど……、わか馬さんの落語は、なんか、やさしい気配がありますよね。

「……やさしい?」

− 大家さんとか隠居さんとか、つまり大人側の人たちですね、この人たちの気配がすごくやさしいと感じるんですよ。八五郎や与太郎がバカやってるのに対して、すごく落ち着いた気配を出していて、それが落語のトーンを決めてるように感じます。大人に重点が置かれていて、そもそもわか馬さんって、とても三十代には見えないじゃないですか(笑う)。

「いやそれは重々、自覚してるんですが(笑う)、でもだからって、そういうスタンスで、因業大家としていつも落語をやろうとしてるわけではないですよ(苦笑)」

− いやまあそりゃそうでしょうけど、でも若いぞ、若手だぞ、がんがん行くぞって前面に出すタイプじゃなですよね。

「そこなんですよ(大苦笑)、がんがんやるぞってやっても、それは無理ですよ、そんなのやったら見てるほうも痛々しいだろうし(笑)」

− 妙な老成さがわか馬さんの落語のひとつの味わいですよね。

「んー(笑う)……そうそう、固くならない、させないのほかの、私の基本スタンスもうひとつありましたよ」

− おお。なんですか。

「無理しない(笑い)」

− (笑う)

●古い池袋演芸場にずっと通ってました

− もとからそういう芸風だったんですかというか、学生時代は落語をやってたんですか。

「いえ、やってない…」

− 落語研究会に入ってなかったんですか。

「入ってないですね、中学高校大学とずっと吹奏楽部でした」

− 吹奏楽、あ、ミュージシャンだった(笑い)。

「はい。ミュージシャンでございます(笑い)」

− そうか、だから落語も音楽よりに心地いいんだ。(とひとり納得)。じゃ、学生時代は、ミュージシャンとしてのプロを目指してたんですか。

「いえいえ、目指してたわけではなく……ただ音楽は好きだったんで、中学でラッパ吹いて、高校で太鼓叩いて、ずっとやってたんですね。高校のとき、音楽の先生に音大いく? なんてことも言われたんですけど、いやいやそれは大変だから、好きで楽しいけれど、これ商売にするのは大変だろうからやめときます、と言ってプロへの道を断って…、それ断っときながら、いまわたしは何をやってんだろうって(笑い)」

− 落語との出会いはいつなんですか。

「落語を聞き出したのは、小学校のときですね、小学校高学年のころ、なんかのきっかけでテレビとか見て、ああ、おもしろいものあるなーとおもって…」

− 何のテレビだったんですか。

「いやー、覚えてないですけど、二、三回テレビで見たんですよね。おもしろいなとおもって、あのころはテレビでも何本か、ラジオでは週に三本くらい落語の番組があったんで、それを軒並み聞いて、それで親にせがんで、小学校の終わりごろ、寄席に連れてってもらいました」

− どこ?

「最初に行ったのは新宿でした」

− 末広亭ですか。

「末広亭です。権太楼師匠が昼のトリだったのが代バネで小燕枝師匠が出てきて『猫の災難』。ほか誰が出ていたのかあんまり覚えてないけど、小燕枝師匠は覚えてますね。それと前座がいまの歌武蔵師匠でした。その二人だけは覚えてる(笑う)」

− 一日いたんですか。

「昼のあたまから昼のトリまでだったとおもいます。夏休みだったかな。それから何回か親に連れてきてもらって、中学入るころからは一人で来てましたね」

− どこですか。

「おもに池袋です。ま、横浜の片田舎、戸塚に住んでたんで、東京に出てくるのは、できなかないけどでも中学生にとってはかなり大変な感じなんで、月に一度くらい、日曜日一日、落語を聞くのにあてて出てきてました。まず、鈴本の早朝を見てから池袋に行って、池袋の朝から晩まで」

− なんで池袋だったんですか。

「当時、昼席と夜席の入れ替えをしてなかったのは池袋だけだったんで、だから池袋でした。あ、浅草も入れ替えなかったか、でも浅草ですからねえ、新宿の末広亭は当時は土日は昼夜入れ替えでしたから、池袋です。池袋でがっつり見てました。あの、古い池袋演芸場がなかったら、噺家になってないかもしれない」

− もう、中学から落語家めざしてたんですか?

「いえ、すごい好きで、ハマってましたけど、落語家になりたいわけではなかったですね」

− 落語を人前ではやらなかったんですね。

「聞いてるばっかりで……楽しかった……ですねえー」

− 当時、よく聞いてたのは誰ですか。

「よく聞いてたのは、やはり寄席によく出てる方ですよ。大看板の人も楽しみにしてたけどでもあまり寄席で出てないと聞けないし、寄席でも池袋に出てないと聞けなかったんで、よく寄席に出てる人で楽しみだったのが、柳家権太楼師匠であり、三遊亭歌之介師匠、ちょうど真打になりたてのころですね、古今亭右朝師匠、春風亭正朝師匠なんかも好きだったなあ……、何より川柳川柳師匠だったり(楽しく笑う)わりと池袋の昼トリとか取ってたんですよね……、古今亭圓菊師匠とか……、笑い転げてましたね。(と懐かしそうに語る)」

− 特に印象に残ってるのは…。

「……川柳師匠はすごかったけど、とりあえず置いておきましょう…歌之介師匠の真打なりたてのころ、これにはもうひっくり返って笑いましたよほんと、もう一週間くらい思い出し笑いができるくらいのインパクトを受けましたね。高校時代の噺、『寿の春』だったり、その時代の漫談だったりですけど、もうひっくり返って笑ったのが印象強かったですね。あと、圓菊師匠の『寝床』なんかも……、あとは権太楼師匠の軽い爆笑噺も面白いんだけど……そこは『芝浜』とか『らくだ』とか、すごい打ちのめされたという憶えがありますねえ……あとこれはもうちょっとあとになって、高校のころ、銀座セブンで土曜寄席ってやってたときの、さん喬師匠の『按摩の炬燵』とか…ずんときましたね…」

− 高校生が、『按摩の炬燵』でずんときたんですか。

「来ましたね…やな高校生ですよね(苦笑)だからね……、もちろん、そういうのばっかり聞きに行ってるわけじゃないんですけどねえ、何でじんときたんだろう……でも、きましたよ。あとは……扇橋師匠の『心眼』とか……、陰気なのが印象に残ってますよねえ……」

●前座のときはまったく受けません

− かなり聞き込んでるマニアックなファンだったんですね。でも落語家になろうとおもってたわけではないんですね。

「高校卒業のときにね、一度、ちょっと考えたのはあったんですが」

− 大学に行かずに落語家になろうかってことですか。

「そうですね、高校2年の終わりころ、受験をするかどうかのとき、なりたい、なるぞ、というような強い思いではなくて、なろっかなー、というような感じで、たぶん、目の前の受験勉強から逃げたかったという気分だったんでしょうねえ…」

− この人に入門したいてのはあったんですか。

「そこまで具体的なものではなかったですね。で、親に言ったんですけど、そりゃ当然、止められますわね」

− 親に言ったんだ。

「大学はいましか行かれないし、と言われて、そうかなとおもってると、そのさなかにまた大学の推薦入学枠があるって話になって…」

− 推薦で入ったんですか。

「推薦です。裏口です」

− いやいや、推薦は裏口じゃなでしょ。いちおう表ですよね。

「ま、表口ですか。通用門から入学みたいなもんですね(笑う)」

− (笑)通用門入学って……、何大学なんですか。

「明治学院大学です」

− 何学部に推薦されたんですか。

「国際学部というところでございます」

− 国際学部、何ですかそれ。

「よくわかりません。四年間いたけど、よくわかりませんでした。なんか学校側としては、語学を基礎として、政治、経済、文化など専門に偏らず、すべて学んで幅の広い真の国際人を養成するという、そういうことになっとりました」

− 国際学士なんだ。

「国際学士でございます。でも語学でつまずいて、国の際には近づけませんでした(笑う)」

− つまずきましたか(笑)、大学出て、そのまま落語家になったんですか。

「そうです」

− ということは在学中に動いたわけですね。

「はい。大学三年の終わりぐらいのときに、周りが就職活動始めるというとき、動きだして、師匠に話をして、親とも話をして、まあ、そこで卒業したらおいでなさい、ということになり……、それで現在に至る」

− 至っちゃったね。そんなに早く至らないでくださいよ。そう、入門された師匠といまの師匠が違いますよね。

「…はい、お恥ずかしい限りで」

− そこは聞いていいんですか。

「これはもう、べつに明らかになってることなんで、隠すことではないんで」

− 最初に大学を出て入門されたのが鈴々舎馬桜師匠ですよね。

「さようでございます」

− いまは鈴々舎馬風門下。

「はい。二ツ目になって、六年めあたりで、馬風のもとに移りました」

− この世界で、弟子のほうから師匠を代えるということは絶対にできないわけだから、そこはまあ、それ相応の事情があっての移門てことですね。

「……はい。馬風に拾ってもらったということです」

− 最初の入門は馬桜師匠、大学生のとき馬桜師匠のもとに通っていたということですか。

「そう、ですね、大学四年になったころに、師匠に話をして、親とも話して、だったら大学出たらおいでなさいということになって、それで大学の授業がほぼ終わった一月から、毎日師匠のうちに通うようになりました」

− 何年ですか。

「1997年の1月ですね。名前がついたのが3月1日で、でもう4月1日は楽屋に入りましたから」

− 前座の前、つまり見習い期間が短いんですね。

「当時はそれでもよかったんですよ。それも、協会のほうから、4月から3人の楽屋入りが決まってますので、それと一緒なのがいいんじゃないですか、と言ってくれて、じゃあってんで、ちょっと早めに前座になりましたね」

− 3人てのは。

「きん歌、弥助に、それにもう一人南喬師匠のところのお弟子さんとそれと私、この4人がまったく同じ日97年4月1日に前座になった同期です。ひとりやめていま3人ですけど。きく麿兄貴が1カ月前の入門ですね。動き出したら早かったです」

− いきなり前座で、いきなり落語やったわけですか。

「…そう、ですね」

− どこで何をやったんですか。

「末広です。新宿末広亭で『道灌』です」

− 人前で落語をやったのは、それが生まれて初めてなんですよね。初高座はどうだったんですか。

「そりゃ(笑い)いっぱいいっぱいですよ。(笑い)そんな頭が真っ白になって飛んだってことはないし、絶句したわけではないけど、教わったことを忘れないようにきっちりやろうというので夢中で、そのあいだの記憶はないです」

− 前座のときから受けてましたか。

「受けません(きっぱり)」

− (笑)受けませんか。

「(笑い)受けませんねー」

「言われたのは、受けようとおもってやっちゃいけない、大きな声ではっきりきっちりやるのが前座の役目だ、ということですね」

− それを守ってたんですね。

「というか、それしかできませんから」
(まだまだまだまだ続きます)

●前座でも受けさせてこいと言われて

− 前座でうけました?

「受けません(きっぱり)」

− (笑)うけませんか。

「(笑)うけませんねー」

− 前座さんでも受けさせようというタイプの人もいますね。

「受けようとおもってやっちゃいけない、大きな声ではっきり、きっちりやるのが前座の役目だ、とそう教わりました」

− そういう教えなんですね。

「師匠にはそう言われました。でも、前座の後半になって、そのころの大師匠にあたる馬風のお供で前座として行くということがあるんですが、馬風は『何でもいいから受けさせてこい』と言うんです。『おれの前に出るんだから、少しでも受けなきゃ、出る意味ねえだろ』と言われるんです」

− こっちは受けさせろですか(笑)。

「言われてもこっちは前座だから、『ええーっ、受けるって、どうすればいいのでしょー』という状態ですよ」

− どうしたんですか。

「スキルないながらも、受けるように、受けさせるようにと自分なりに何とかやってみるんですよ」

− 自分でギャグを入れるんですか。

「まあギャグを入れたり、ちょっと変えたり、演じ方をくさくしたり……でもくさくったってどうすればいいかってわかってないんですけど、……演技の部分でオーバーにして色づけしてみるとか、そういうのですね。落語会じゃなくて脇の営業とかだったら「つかみこみでも何でもいいんだから受けさせてこい!」なんて言われたりして」

− うけましたか。

「そこそこうけるときもあれば、だめなときもあり…それで、あ、これだってモノをつかめた覚えはないですけれど、ただ、苦しんで試行錯誤したのが、身にはなってますね。絶対。……二ツ目になって、営業に行って、一人だけで一時間持たさなきゃいけないなんてことがあるわけですけど、そこで、拙いながらも何とかね、自分でやれるようになったのは、このおかげだったとおもいます」

− 前座で受けようとするのは大変でしょう。

「そうですね。ふつう、前座は余計なことをやるな、と言われますからね。『前座で受けようなんておもう必要はない』と教えられます。落語で受けようとしてると、それだけで怒られたりしますから……ただ、あとから考えると、どっちの教えも正しいんですよ」

− 受けるなというのと受けろというどっちもですね。

「前座はやはり、基礎の部分をしっかりやるべきで、声がちゃんと出てるかとか、ちゃんと届いているかとか、そういう部分が大事ですからね、余計なこと考えず、そこだけきちんとやれ、と。まだ受けなくても許されるじゃないですか前座のときは。そこで、きちんと基礎固めをやらなきゃいけないというのはたしかです。ただ、でも前座も、噺家としてお客さんの前に出るわけですから、まったく何もおもしろくないというのじゃ、それはたしかにそこに出てる意味がないでしょ、という面もあります」

− 前座の落語をきちんと聞いてるお客さんもけっこういますよね。

「そうですよね。さあ落語だ、楽しいものだ、とおもって聞きにきてくださってる前で、ただただ大きな声でがなって、きっちりとやってますってだけで、これはおもしろくないなーとおもわれてるんじゃ、そりゃ修行中としてはそれでいいかもしれないけれど、でも芸人としては、なんかだめでしょう」

− 前座って何だか知らないお客さんもけっこういるでしょうからね。

「そのあとの流れを作る意味でも、前座であってもちゃんと役割を果たさなきゃ、というのもあるわけで、その、どっちかだけに傾かずにできたのは、これはありがたかったですよ。言われたときはどうすればいいのかわかんなくて大変でしたけれど」

− そういえば馬ることか、やえ馬とか、馬風門下の若手は、とにかく笑わせようというつかみの意識が高いですよねえ(笑)。


●寄席ですごいのは先代小せん師匠と文朝師匠

− 寄席に入って働き出すようになって、プロとしてですね、まあ、前座はプロとは言えないかもしれないけれど、でも玄人として、舞台袖から見ていて、この人すごいな、とおもった噺家さんは誰ですか。

「楽屋からみてすげえなとおもったのは、やっぱり、小せん師匠です。こんど名前を継がせていただきますけれども、何といっても四代目の小せん師匠ですね」

− かるーい感じで噺をされてましたね。

「そう、軽いのに、でもすごいんですよ。小せん師匠が何といっても筆頭ですけど、あともう一人、これも亡くなりましたけれど、桂文朝師匠……。客席から見てるときもおもしろかったけれど、楽屋に入って舞台袖から毎日見て、この人の底力がすげえ、とおもいました。先代小せん師匠と文朝師匠が、袖から見ていて両巨頭でしたねえ……」

− 底力てのは、たとえばどういう。

「んー、どんな状況でもきっちり仕事をするというか…、寄席で見てると、ずっと重いときってあるじゃないですか。誰が出ていっても重いまま、爆笑派もダメで、実力派もダメで、ずっと重い空気のとき、文朝師匠が出ていって『子ほめ』なんかをやる、それも別にそんな特別なくすぐりとか入れてないのに、ぽん、とやって、ぐっ、と客席の色を変えるのを、ずいぶん見ました。ま、たまに奇抜なギャグが入ったりするけど、そこじゃなくて、ふつうの言い方とか間の押し引きだけで、これだけ受けさせることができるんだっていうそういうテクニックですね。ま、テクニックって言ってしまうと、なんか上辺だけの技術のことになってしまう感じだからちょっと違うんですけど、腕ですね、あの腕前ですね。あれは何だろう、といつもおもってました」

− それは何だったんでしょうか。

「いやー(笑)それが何だったのかちゃんと分かっていれば、私ももうちょっとなんとかなってますよ(笑)」

− 真打昇進して柳家小せんになるわけですが、小せんという名前の大きさというのは、どうなんでしょう。

「本来的な大きさは、それほど大きいって言うわけではないのでしょうね、きっと」

− 初代の小せんって、めくらの小せん、と呼ばれてる人ですね。

「そうですね。廓噺で売り出したという。その廓噺も、現代の形にかなり近いもので速記が残ってますんで、かなりそっちのほうで売れて、若くして認められていた人みたいですね」

− 若くして亡くなってますよね

「36か7歳で亡くなってますんで、ちょうどいま私が36ですから、つまり私が3年くらい前に失明して、いまもうこのくらいで死んでるということになる(笑)。それぐらい若くして、それでも名を残してるってことですから、よほど才気走った人だったんでしょうね」

− このあいだ亡くなった小せん師匠が四代目ですか。

「そうです。もう亡くなって4年……になりますか」

− 小せんにならないか、というのはどういうふうに話が来るんですか。

「……四代目の小せん師匠が好きだったんです。前座のころから」

− 好きだったというのが大きいんですね。

「はい。ずいぶん噺も教えてもらって、お稽古にもよく行っていてですね、私が好きだってのは、まわりの仲間やちょっと上の先輩、それにお囃子のお師匠さんたちも知ってくれていたんですよ。だから、真打ちになるときの名前どうしよう、というとき、まあ、飲み会の席なんかでですけど、先輩が『小せんになっちゃえよ』なんて言ってくれて『いやいや無理でしょう』なんて、そういうのをほうぼうで言ってくれてたんですね」

− 近い人が何となく言い出してくれてたってことですね。

「そうです。それが師匠の馬風の耳に入るところになりまして、『おまえ、どうすんだ』『……いいんです、かね』『断んのか』『いやいやいやいや断るなんて…いいんでしょうか…なれるんならなりたいですけども』というような、まあこの、周りからの何となしのまわりのプッシュがそのまんま形になった、という感じですね」

− 先代は馬風師匠の兄弟子にあたるわけで、つまり一門の名前だからってことですか。

「そうですね。柳家の一門ということですね」

●先代小せんに教わった10席

− どうですか、ご自分で小せん師匠と落語が似てるってふうにおもいますか。

「いや、あんまり似てるってつもりはないですね。ああなりたい、とはおもういますけど。あの軽さとか、軽くて大したことやってなさそうに見えるのに実はすげえ、というのがすごい好きだから」

− トリで軽くやられてたイメージがありますけどねえ。先代は。

「でもトリだとちゃんと、やるんですね。あいだに挟まっての出番だと、7分とか7分半とかの時間で短い時間でやってる湯屋番を、トリだと25分とか30分、きっちりやる。それがダレ場はないし、どこをどう足してんだかわからない、逆に短いときはどこをどう抜いてるんだかわからないんだけど、でもふあーっとやって、ちゃんと楽しませて、25分なら25分ちゃんとやって、おりてくる。これはどうなってるんだろう、なんておもってました。やっぱこれが腕だなあ、と」

− 寄席サイズにはまってる噺家さんでしたよね。

「そうですねえ。どこの出番で出ても、どんなお客さんでも、それが池袋のマニアックな客でも、浅草のわーっとしたところでも、ぽんと沸かして、ぽんとおさめて、おりてくる。すげえなって、感じ。ぜんぜん力入れてるように見えないんですよ。汗ひとつかかずに、ふっと降りてきて「あーくたびれたー」って言うんだけど、え、師匠、くたびれてないでしょう、なんて(笑う)」

− そのへんは、本人も軽くやってる意識だったんでしょうか。

「うーん……、どうでしょう、軽くやってるようには見えたけど、当人としては、そうでもなかったのかも、しれないですね。それはわからないです……ただまあ、出番直前まで寝てたりしましたからね(笑う)。そんな「よおしやったるでえ」という感じではなかったですね(笑う)まあ、僕らが知ってるのは晩年でしたから、もう、年も年でしたから、そんなに力は入れてなかったのかな……でも、若いとき、バリバリやってたから、ああいうふうにできたんだとはおもいますが」

− 小せん師匠に習ったネタはいくつくらいあるんですか。

「けっこうありますよ。10席以上はつけてもらってますんで」

− それはけっこう多いですね。

「前座のころ、動物園をまず習ったんですよ。それから、千早振る、あくび指南、湯屋番……女給の文、なんてのも教わってますね……芋俵……長屋の花見……まだまだありますよ」

− けっこう寄席でよく聞くようなネタばかりですね。

「そう、寄席でよく掛けてるものは、もう、教われるものはのきなみ教わりてえな、とおもってましたから」

− 持ちネタは、けっこうお持ちですか。

「うーん、割と少ないほうだと思います。なんか、いろんな話を持っていて、勉強してるタイプに見えるかもしれませんけれど…そんなに多くないんですよ。今の時点で、一度でもやったことがあるってのが、80ちょっとくらいかな…、たぶん少ないほうだとおもいます」

− すぐやれるネタはいくつくらいですか。いわゆる実戦用に装備できてるネタ。

「実戦装備…いますぐこの場でぽんと言われたら…15くらいですかね。20はないですね。明日までにとなれば、40、50くらいになるとはおもうんですけど」

− 一日あると増えますねえ(笑)。私が聞いた中で珍しかったのは、月見じぶんにしか聞けなさそうな「月見穴」とか。

「あー、月見穴ね、そういえば去年(2009年)は結局一度もやってないから、それは一昨年ですね、ほんと期間限定ですからね、笑いがないし、出し所がすごい少ない噺ですからね。でもああいう話も持っていたいというのがあって、そういうのがぽんとできたら格好いいなというのは、客のころ見ていたときからおもってたから」

− あと「馬大家」もあまり他の人では聞かないですね。

「ああー、馬大家はちょくちょくやりますね」

− ほかにもどなたかやってますか。

「んー、いまは、ほとんどやらないとおもいます」

− 私は三遊亭歌笑師匠で聞いたことがあるくらいですけど。

「そうですね。歌笑師匠がやるのと、あと、柳家さん助師匠しかやってなかったとおもいます。さん助師匠も人に頼まれても教えてなかったみたいだったんですけど、私は、うまいこと、家が近所ってこともあって、可愛がっていただいてたんで。教えてくださいてったら、ああいいよって言ってくださって、はい。だから、他の人では…あまり聞かないですね」

●自分の客は10人くらいでしょうか

− わか馬さんは自分についてくれているお客さんって何人くらいいるとおもってますか。固定客数ですね。

「うーん、固定客。ん…………」

− 私の会に来てくれって言ったら何人くらい集められるかってことですけど。

「うーん、ほんとにもう場所によってですし、そうですねえ……わかんないですねえ……、毎月、高円寺のノラやさんでやらしてもらって、そこにまあ、皆勤とまではいかないけど、まあ、毎回きてくれてる人を、固定客というなら……10人くらい、いますかね(笑)」

− 10人って(笑)そりゃ、ほんとの、芯の芯の核のところのお客さん数でしょう。

「それでも、自分のお客ってわけじゃなくて、一之輔さんの会も欠かさず行ってるっていう人だったり、いろいろ見る中で、自分のファンでなくて、若手を聞いてる落語好きの中で、わか馬さんの会も行きますよって言ってくれてるって人であったり……」

− (笑)二ツ目の人はみんな一之輔の名前を出すよなあ(笑)。

− 落語の登場人物で、やってて好きなのは誰ですか。

「好きなのは、うーん、ぱーぱーしてるほうが好きですけどねえ」

− どの、だれ?

「野ざらしの八五郎とかですねえ。あとは、鷺とりの、雀つかまえるの鷺を捕るの、言ってるのとか、好きですけども…」

− そういう賑やかなのがお好きなんですね。

「(笑)でもまあ、ニンていう意味では、やっぱり隠居、であり、野ざらしで言えば、八五郎じゃなくて尾形清十郎のほうが合ってると言われるのも、すごくわかる」

− (笑)いやでも、尾形清十郎は真ん中から出てこないですから、そこに比重を置いてもねえ(笑)。

「(笑)なんちゃって鹿芝居もずいぶんやらしてもらいましたけど、たいがい因業大家役であったり、ね……、だいたい大家とか、三太夫とかが多いです」

− そういえば、円朝ものの長いやつとかはやったりしないんですか。

「いまんところやらないです、やりたいやりたいとおもいながら」

− 陰気で長い噺とか、わか馬さんがやるのは、ありですよね。

「ありはありだし、やりたいんです、まあ、噺家になるときは、そういう世界もすごく好きで、こういうのもやるんだ!って情熱に燃えてたんですけど……」

− 最初のお師匠さんは、そういうのもやられますもんね。

「はい。ただやっぱ、軽い噺のほうがなんかすげぇなって気づいたのと、それから陰気で長い噺は、私に合いすぎる、ニンに合いすぎてしまうじゃないかなとおもって」

− 合うとだめですかねえ。

「その、風貌も佇まいも陰の男がそんな噺をやったら、ほんとにこう陰に陰がかぶさってしまってとおもいますもん。この風貌でくだらねえのやってるほうがいいのかな、ていうのもあり……だから、手がけずにここまで来てしまいました。ま、いずれ、やりたいとはおもってますけど」

− ただ、お客さんは重いネタが出来るほうが偉いとおもってる人も多いじゃないですか。だから一人の落語会で、軽いの3本、というわけにもいかないでしょう。そこそこ重いものをやらないと。

「そう……だったら、ま、ねずみがあったり、んー、御神酒徳利をどんとやってみたりとか、いうのは…ありますね」

●ガーコンのジョでございます

− わか馬さんの落語はわたしは、かなりメロディアスな感じだとおもうんですが、そういうのは意識されてますか。

「あんまり意識はしてないですね」

− 落語っていうのは、言葉の部分と、あと音の部分がありますよね。その音の部分を、心地良い音としてメロディアスな落語をやってるという印象なんですけど。それは、やはりかつて音楽家だったから(笑)。

「(笑)ミュージシャンだったから(笑)」

− 歌う落語路線ですかね。

「最近ちょっとそういう路線に入ってますけど、そこはそれ、本物がいますからね。川柳(かわやなぎ)なり柳亭なり、ね(笑)」

− あー、市馬さんも、やっぱ歌落語の路線ってことになりますかねえ(笑)。

「はい。歌手協会入っちゃいましたからね(笑)」

− え、そうなの? えー。なんだそりゃ。なーにやってんだか(笑)それで紅白を狙ってるとか言ってるのか(笑)。

「ンフフフフ」

− わか馬さんは、ここんところ、ガーコンをやられるんですね。

「はい」

− あれはまさに、歌落語ですよね。

「歌落語ですね。んー、落語…(笑)、ま、落語家がやってんだから落語ってのはそうなんですけど、厳密に定義しようとすれば、落語ではなくてただのおじいさんの想い出話ですからね」

− あれはあれで、すごく素晴らしい視点を持ってる落語だとはおもいますけれど、わか馬さんもやはり古い歌が好きなんですか。

「歌全般に好きですけども、古い歌のほうが、名曲が多いからかな、好きですね。いまの歌も好きですけれども」

− だからガーコンもできるわけですね。

「川柳師匠は、自分の経験談としてやってられますけど、わたしは、この時代こうだったって聞いたよ、こうだったらしいねっていう第三者的視点でしかできないですからね。ガーコンの歌う歌もギャグも同じでも、その立ち位置は全然違ってきますんで」

− 寄席でやるんですか。

「…寄席ではやりません…(苦笑)」

− さすがにできないか(笑い)。

「できないですよ。それにやってもいいとなったところで、若手が浅い位置であんなのやろうったって(笑)ねえ(笑)」

− はっは、そりゃそうだ(笑)。

「黒門亭ではやらしてもらったことがあるし、川柳師匠と上下で……やらしてもらったり」

− 上下、ですか(笑)。

「どうしても私の思い出話としてはできないんで、戦前の流行歌ってこんなもんだったってのをつけて、川柳師匠が歌わない前の時代から入るというのを作ったんですよ。川柳師匠がガーコンとしてやってない前のところまでやって、で「ガーコンのジョ(上)でございます」ってあと御大がでるとか、そんなのを何回かやらしていただきましたね」

●「落語家さん」がおもしろいんじゃなくて「落語」がおもしろい

− 学生のころからバンドでも歌ってたんですか。

「特にはやってませんでしたが、もうまったく一人の趣味として、ギターを弾いたりなんかしてました」

− ギターを弾いて歌うわけですか。

「ええ、それは一人部屋で歌うという感じで、当時のはやり歌だったり、昭和歌謡とかではなくてもうちょっと新しいところ、フォークソングと言われるような…」

− フォークソングって、当時のフォークって誰ですか。

「子供のころだと、アルフィーとか好きでしたね。明星だかについてるヤンソンという歌本、歌詞とコードがついている本があって、それを見ながら弾いたりしていました。歌の好みの基本が、さだまさしなもんですから」

− あ、さだまさしなんだ。

「さだまさし、井上陽水、中島みゆき、ね。そのへんのをこう、ギターで弾いて歌ってました。特にどこで発表するというわけでもライブをやるわけでもなく、……暗い少年でしたね…(笑)」

− (笑)暗いんだ。(笑)……落語って、やはりふつうは「多くの人を笑わせる」という、そういうタイプの芸能ですよね。

「そうですよねえ」

− 暗いと自分でおもっていて落語家になるっていうのは、それは落語家のイメージはどういう感じだったんですか。笑わせるよりも、感動させるタイプになりたいとか、そういう考えもあるとおもうんですけど。

「うーん。そうですねえ、落語って笑わせるのが基本だけども、それだけじゃないぞっていう、そういうのはおもってました」

− 笑わせるだけじゃないと…。

「だから、たぶん、落語家さんおもしれえっていうよりも、落語がおもしろい、という見方だったですかね。その落語の世界を伝えるというのが落語家さんの役目だから。「おれおもしろいでしょ」というのじゃなくて、面白いお噺があって、その世界に引き込むのが落語家さんという……客としてはそこに引き込まれてたんだとおもいます」

− 落語家さんじゃなくて、落語がおもしろい、ですか。

「だから落語家が特別おもしろい人でなくってもよくて、落語っておもしれーなーとおもってたのかな」

− なるほどねー。わか馬さんらしいや。

「落語の中には人情ぽいものもあるし、円朝ものとかもある。そんなのものも一人で表現できる。その世界が見えるわけですよ。その奧の深さというか、こんなものも一人でできるんだ、すげえ、おもしれえ、おれもなれるかな、と考えてたんですね」

− 落語家は、つまり彼じたいがおもしろいんじゃなくて、パフォーマーとして素晴らしいということですか。

「ということですね、パフォーマーということで……、そうですね…当時おもしろいなとおもって川柳師匠をきいてましたけど自分がガーコンやるとはおもわないですしね、ん、あんなものはね、当人以外にやるべきじゃない、じゃないですか。ほんとにそうおもいますから(笑)」

− (笑)続いていくのはいいですよね(笑)。

●「噺家は稽古が仕事、高座は集金」という文左兄ぃの名言

− 二ツ目の皆さんは、みんながみんな「暇だ暇だ」って言うじゃないですか。ほんとに暇なんですか。

「ひまです、ねえ(笑)」

(一同哄笑)

「その、タイムスケジュールで、この時間はここにいって仕事、この時間は約束があってという、そういう拘束時間だけで考えたら……、ものすごく自由な人生です」

ーふはは(笑)。

「もうちょっと拘束されたい?(笑いつつ)いや、ほんとに(笑う)」

− 拘束されたいんだ(笑)笑いごとじゃないんだろうけど(笑う)。

「ただね、この、あいてる時間をどう使うか、何をするかというのが、いまのわれわれの仕事なんでしょうね。橘家文左衛門師匠の名言に「噺家は稽古が仕事、高座は集金」っていうのがありますからねー」

(一同哄笑)

− そんだけ暇だと収入はどうなんですか、いや、噺家さんて不思議とみんな食えてるんですよね。

「そうなんですよねー、飢えてるって話では聞かないですし、ま、まれに時給でバイトしてるっていうのも聞きますけど、それはほんとにレアケースですからね。なにしてんだあいつは、何か食えてるみたいですよ、ならいいんだけどさ、なんてのがふつうで、何かしてるんですよね。何なんでしょうね」

− 普通に落語の収入だけでなんとかなっていきますか。

「まぁたとえば余興とか司会とか含めて落語家ですよということでいただいてる仕事を含めれば、落語家の肩書きだけで、だいたいみんな食えてってるみたいですね。二ツ目になりたてのころは、全然稼げた憶えはないけど、飢えることもなく、何とかなってましたねえ。……二ツ目の上のほうになると、仕事もわりといただけますから、食えるは食えますね。逆に真打になって下のほうってほうが、苦しいんじゃないかっていう不安におののく毎日ですよ」

− 真打ちになると、ギャラのランクが変わるんですか。今までどおりの値段じゃ行けなくなるとか。

「いえ!いえ!いえ!(笑う)いままでどおりで行きます!行きますともさ!」

− (笑)いやいやー、おれに強く言われてもねえ(笑)。

「でもやっぱりこう、頼むほうで、何となく…あるでしょう……、そんなの関係なく個人で頼んでいただけるのももちろんありますけれど、ね、真打ちと二ツ目というのは、まあ、何かしら違うものかもしれないし……二ツ目だって、いくらって決まってるわけでもないですからね。ピンからキリまでの仕事があるわけで、そのいろいろなのが、何となくこう、上がる、のかなあ。単価の高い仕事もいただけるかもしれないですけど……、でも、いままでどおりのお値段で行きますとも!」

− (笑)だからおれに言われても(笑)

− 何もないときは何をしてるんですか。

「そうですね、なんにもないときが多いですからね、噺の稽古をしますといえれば立派なんですけど、………何もないときがまとまってると、あれを覚えようとか、新しい話仕込んだりするのに、あてたりしますね。あとは何か見に行ったり芝居だったり映画だったり…でもそんなに頻繁に行くわけでもないしな…」

− 好きな役者さんとかいますか。

「特にいませんね。…なんにもなければ、一人で部屋でギター弾いてたりとか」

− 音楽が趣味ってことですかね。

「趣味でございますね。でも、趣味と言いいながら最近なんかいろいろやりだしちゃったんで。文左衛門兄貴と扇辰兄貴と客前で三人で歌うという迷惑な行為やりだしちゃって。はい。三K辰文舎っていうんですけど、これに人が来るってんだから、何か間違ってますねえ(笑)」

●ギャラがバス代片道ぶん210円

− いままでにびっくりするような値段の仕事とか頼まれたことはありますか。

「開けてみてびっくりするっていうのは、だいたい下のほうにびっくりしますね(さびしく笑う)」

− 下ですか(笑)一番安いのってどれぐらいですか。

「んー、本当に交通費程度でごめんなさいっていうのは、ありましたね、それは知り合いのつてだからそれでいいんですけど」

− 数千円てとこですか。

「数千円ぶんのクオカードでした(笑)。びっくりしましたね(笑)」

− (笑)現金じゃないんだ。

「そう「もうほんとにあの、お車代、というかジュース代みたいなもんで」なんて、ジュース代って妙な言い方するなあ、とはおもったんですけれど(笑)クオカードでした」

− まあジュースは買えるだろうけど(笑)。

「あとは、これは前座のころだったけれど、やっぱり知り合いのツテで、交通費ぐらいもらえればいいよって言ったら、ほんとに交通費でいいのね、うん、というやりとりで、行ったら「何に乗って来ましたか?」と聞かれて、わりと近所だったから、バスで来たって言ったら、210円ちゃりーんって(笑う)、ほんとにもう、交通費。片道ぶん(笑)」

− (大笑)バス代! しかも片道ぶんって、何なのそれ(笑)。

「そんなことはありましたね(笑)」

− それすごいな。場所としてきついのとかはありましたか。

「まあ、お祭りの屋台とかね、パーティとか、立ってて飲み食いしてるところは、まあ、駄目ですよね。野外で雨が降ってきて、いちおう高座作ってあるところには屋根みたいなのがあるんですが、そこでやったこともありますよ。あれは、幼稚園か何かのライブイベントで、さんまを焼くんで、ぜひ「目黒のさんま」をと言われて、これを屋外でやらされたんですね。べつに外でさんま焼いたって、落語は中で聞けばいいじゃんと(笑)、そうもおもったんですけど、ぜひ外でってことになって、雨が降ってきたから、高座のところだけビニールシートみたいな屋根があって、雨降ってるから子供たちはみんな傘さして聞いてるという、ねえ、途中でやめるわけにはいかないから、とりあえずサゲまでやりました、目黒にかぎるって言いました、という、そういうこともありましたねえ」

●先代小せんのちょっといい話

− 好きな食べ物なんですか。さっきからあまり甘いものも召し上がらないし。

「うーん…好きな食べ物……ない……かなあ……すっとおもい浮かばない(笑)」

− (笑)なにそれ。死んだ日本兵と喋ってるみたいな気になってくるよ(笑)。

「(笑)日本兵ですか(笑)これ好きだっていう、おれの大好物だっていう主張するものはないんですねえ。強いていえば、うーん。肉類、かなあ、明日、地球が滅亡するとして何を食うかって……、うーん、うまーい肉、ですかねえ(笑)」

− あまり主張がない感じですよねえ。

「そうですね(苦笑)自分で、これじゃなきゃだめだ、というのが、あまりないとおもいますよ」

− (笑)うーん、そういう主張のない人生ってのは、芸人としてどうなんですかね。

「芸人としてどうなのかと問われると、えー、売れないとおもいます(笑)」

− ええっ(笑)売れる気がないんですか?

「いや、気は、あります。うん。そりゃ売れたほうがいい、ちゅうか、売れなきゃしょうがない。でもおれこうだよねってところで考えてゆくと、それじゃ売れないよね、ってことになってしまうんでねえ(苦笑)。あんまりこう、タイプとして、芯に座ってドーンといくタイプではないとおもうんですよ。野球で言えばピッチャーとか、ホームラン打者四番とか、そういうのんじゃない。もっとこう、つなぎでいい仕事しますよ、というような、こういうシチュエーションでこいつがポンといると違うぞというような、そういう存在じゃないかなとおもってて……人間としてのニンはね、そういうのだという気がするんですよ。といって、じゃあそれで行こうと決めてちゃ、いけないとはおもうけど」

− こういう芸人さんになってみたいっていう先輩は、どなたがいますか。

「それはやっぱり、四代目の小せん師匠なんですよ」

− あ、やっぱり。

「はい。ただ、晩年しか見てないから、……いずれ年とったら、ああいう存在でありたい……これはもう、前座のころから公言をしてたんで、そんなのもあって、周りも言ってくれて、今回のこうなった、というのはありますね」

− 先の小せん師匠はテレビに出て、売れてるっていう時代もあったわけですよね。

「そうです、力抜けた感じで、でもぽんと爆笑させるという、あのスタイルを、若いうちから目指そうってことになっちゃ違うとおもうし、そんなことできるわけもないですしね」

− ケメ子なんかを流行語にしてたわけですからね。先代の小せん師匠は。ケメ子の小せんですね(笑)。

「(笑)おとぼけの小せんというか(笑う)ま、ばりばり売れて、メディア出づっぱりのころもあり、余興やなんかで、すごいこともして、いろんなおもいをしてきてたわけですよね。きっと。それで最終的には常に寄席にいて、特別目立つ存在じゃないけど存在感があって、ちゃんとした腕で楽しませて、後輩からも一目置かれ、というそういう存在だったわけで、それがまあ、目指すところといえば目指すとこですね」

− 小せんという名前は、知られてるけど、でもそんなに大きな名前じゃないでもないわけですね。

「そうですね、忘れられてもいないし、そんなにメディアがわっと飛びつくほどでもないしっていう名前だし…」

− だから、新しい小せんになっちゃえばいいんだし。

「ありがたいですねー、名前自体の風格は、そんなに大きなものではないとおもいますけど、でもまあ、先の、四代目の師匠のイメージは大きいですからねえ。少なくとも自分にとっては大きいし…、世間に取ってはそれほどではないのかもしれないけど……寄席好きにとては、どうなんでしょうかねえ……」

− 小せんを継ぐことについて、まわりの反応はいかがでしたか。

「ありがたいことに今んところ、直接で否定的なご意見は耳に入ってこないですね。「ああなんか合ってんじゃないの」とか「継ぐならお前だろ」て言ってくれる人が多い、ですね。あとはまぁ、そんな先代にこだわらないで、もう何十年がかりで、創り上げていくもんだよ、なあーんて言われると、ありがたーくて涙が出ますね。まあ、ありがたいのか、そんな期待されてないのか(笑う)あとは、楽屋の中では、あの人はすごい人だったよ……こんなことがあってね、ってけっこう逸話を、聞かせてくれる機会も増えました」

− すごい人ってのは、どういうすごさですか。

「どこいっても驚かないしその腕たるや、っていう話ですね。寄席では短かったけれど、というのが最初にありきで、いやあ脇の仕事で一緒になって大喜利やったらさ、司会をやるんだよ、それで謎掛けですっていって客席降りてっちゃって30分戻ってこない、いろいろお客さんまわって謎掛けなんかやりながらずーっとわかして一人でこう客席まわって沸かしつづけて、そんなこともできる、やっぱり戦争経験してる人は違うねなんて(笑)いや戦争、関係あんのかなんて、おもいながらね(笑い)でも、それだけすごい人だったんだよ、おれだけが知ってる四代目小せんのちょっといい話ってのをぼろぼろぼろぼろと、聞かせていただきます」

− 一緒にやってた人に、何かをおもわせる人だったんでしょうね。

「大喜利でテレビで売れてたときも、おとぼけで、ぼんやりしててつっこまれて、ぽんとひと言おもしろいことを言うっていうイメージでしたからね。ところが、やらせてみれば、つっこみもできるし、切り込んでいけるし、一人で切り回すこともできるっていう……そういう逸話がいろいろあって…だから、やっぱりその、四代目小せんのすごさっていうのは、世間でおもわれてるよりも楽屋で、それぞれがおもってる凄さってのがあってね、それを感じると、いや、ちょっとおれどうしようかな、となってるところはありますね」

− なるほどねー。

「だから、小せん師匠のようになりたいと言ってますけど、それはもう、はるかはるかに向こうの先、ですよ。……じゃ今なにをやろうかってのは、うーん、なかなか決められないですね……んー、大ネタもやりたいし、でもやっぱり軸足は軽い噺とおもってるし、そこが中心になるかな……でもまあ、ギター弾いて歌って遊ぶってのもあり、ガーコンもやってる……。いろいろやってますからね。いったいお前は何なんだって、そう見られてるかもしれませんが……自分でもまだ定めきれてないんで、うーん、まだまだ手を広げる段階でいいのかな」

●扇辰兄貴の完璧な「甲府い」

− 人情噺で、長いので、泣かせるというのも、やらないわけではないですよね。

「いちおう、景清なんかもやりますけど、でも、よし、泣かせてやろうっておもって、高座に望むワケではないですねえー(笑)」

− そりゃまあ、芝浜だって、みんな泣かせようとおもってやってるわけじゃないんだろうけど。(笑)そう、芝浜はやられないんですか。

「やってないです。やりたいやりたいとおもってながら、まだやんなくてもいいかなとおもっていて。というか、まわりにやる人があまたいるんで……、二の足を踏んでしまってますね。そう…、芝浜と文七元結は、すごく好きだしやりたい噺だけど……うわー、これは凄い、いいな、というのを目の当たりに見ちゃうとねえ」

− やらなくなっちゃうわけですか。

「まあどっちかですよねえ。よし、おれも覚えてこういうのやろうってなるか、これはまあ、この人にお任せして、となっちゃうか」

− わか馬さんは、たしかに、おれがおれがと前に出て行く感じじゃないですよねえ(笑)。

「あんまりいかないですね(笑)」

− 芝浜ですごかったって誰ですか?

「あのー、ま、あまた聞いてるし、いいなってのは、あまたあるんですけれど、そういう意味で、いわゆる名人とか看板じゃないところで言うなら、文左(衛門)アニイが、よく一緒にやらしてもらってるんですけど、芝浜とか文七とか子別れとか、すごいんですよ…うん、でまあ、大先輩ではあるけどそんなに違わない、わりと近しいところの人で、そういう凄いのを見ちゃうと、この噺はアニさんお願いします、って気になってしまう」

− 最近、そうおもうってことですか。

「最近、です。まあ最近っても四、五年、いや六、七年……割とつるんで色々やらしてもらって、そういうのを見るとね。扇辰兄貴が完璧な甲府いとかやるのを見ても……」

− 完璧な甲府い!(笑)

「(笑)完璧な甲府いてのもおかしいか…」

− (笑)いや、言ってることはすごいわかる。

「そうなると、これはすごい好きだしおれもやりたいけども……べつに越えられないとかじゃないけども、この、同世代のお客さんも、これを見ればいいでしょうって、いう気になっちゃう……ですよねえ。ちょっと引っ込み思案だから。芸人としては、どうなんでしょう(笑)」

− いや、だからわか馬さんが、これをまかしとけ、というのがあればいいじゃないですか。

「…そうなんですねー」

− あくび指南とか。

「あくび指南(笑う)そうそうそうそう(笑)」

− あくびは、落語としてすごい作品ですよね。ある意味ね。

「(笑)完璧なあくび指南を目指してね……(笑)それから新聞記事とか(笑)」

− (笑)えーっ(笑う)新聞記事なんだ。

●理想の落語家像はやはり四代目小せん

− まあ、落語って同じ噺を繰り返しやるわけですからねえ。

「それはもう、自分だけじゃなくて、何代にもわたって伝わってきてるものですから」

− 自分でやってて飽きちゃったってことありますか。

「いや、自分が飽きるというよりも、やり続けてると、ぱたっと、ウケなくなることはありますね」

− あー、同じようにやってるのに、受けないんだ。

「そうですねえ。このネタは自分でもやるのが好きだし、うけるし、ま、得意ネタとは言えないかもしれないけれど、これは行けるネタだとおもってるのが、こう、あるとき、ぱたっと受けなくなるんですね。あれ? とおもって、ちょっと変えてみたり、間を変えたり、新しくくすぐり入れたりするんだけど、でも、あれ? これ、受けるはずだよね…でも受けなくなっちゃってるぞ、ということがありますね」

− それは寄席で、ですか。

「寄席でやったり、脇でもやったりして……そりゃ自分の会で同じお客さんに万たび聞かせてたらそりゃだんだん受けなくなるのは当たり前ですけど(笑)どこでやっても、あれ、こんなはずじゃなかったという…」

− それはやってるほうがどっかで飽きてるってことなんですか。

「飽きてるのかもしれないですし……、ま、受けなくなったときに、おやっとおもって変えたりすると、余計なんかいろいろ崩れてしまって、いわゆるスランプみたいなことになっちゃうのかもしれませんね。で、おクラにしちゃって、やらなくなって、で、何年かたってポンとやってみると、また全然違った感じで受けるようになってたりもするんですね」

− それは具体的に何の噺ですか。

「うーんと、僕は、金明竹、鷺取り、あたりですねえ。わりと受けてたんで、鉄板ネタというほどのものではないけれど、でも自分の中で安心して出せるネタだったのが、あるときぱたっと、となったんですよ」

− 鷺とりはまた最近、やられてますねえ。

− 理想の落語家像、となるとどんな感じですか。

「理想の落語家像ですか。うーん。どうなんでしょうねえ、うーん………どんな場所でも、楽しんでもらえるというような落語家、ですかね、漠然としてますね(笑)」

− (笑)すいません。質問も漠然としていて。

「いえいえ(笑)落語好きがこぞって追っかけるとかじゃなくて、んー、何でもできるようになりたい。ほんとにこう、田舎の祭りの余興で呼ばれても、コアな落語マニアが集まるようなところでも、寄席の浅いところでもトリでも、独演会でも、箸休め的なところでも……その場その状態できっちりと仕事ができる芸人になりたい、というのが理想、なのかなぁ」

− なるほどねえ。

「ま、……無理なことなんですけどね(苦笑)」

− いやまあ無理じゃないでしょう。それに理想ですから(笑)。

「んー、理想ってことでいえば、まあ、ピッチャーもできて、ホームラン王にもなれて、盗塁王にもなれて、応援団長もできるみたいな」

− お、応援団長!?

「いや、いろんなことできるってことで(笑い)」

− うーん。ちょっとわかりにくい(笑)でも、何でもできるのがいいってことですね。

「そういう意味では、独演会をやれば秒殺で券がソールドアウトになるような、そういうタイプではないですよね、自分の目指すところは……どこでも、なんかあいつがいるとさー、間に挟まってると、なんか面白いんだよ、というようなね。どこでも呼ばれやすいというのかな……うん……オールラウンドプレイヤーになりたい………てことかな」

− どこでも守れる攻められるというような……。

「いやー、でも、うーん、そうとも言い切れないかなあ……駄目ですね、まだ自分の肚が決まってないんですね…(苦笑)」

− いやでも、欲があるからいいんじゃないですか。真打ちになるってことで変わってくるんでしょうし。これから期待してます。

「ありがとうございます」