30 クロアチア飲んだくれツアー(1)


カルロヴァッツまでの道にも
いくつか同じようなレストランがあった。
どこもけっこう賑わっている。
ちょっと高級そうな店にはドイツナンバーの車も停まっている。
このあたりも、かつてユーゴスラヴィアだった頃と
ほとんど景色は変わっていない。
何台もの遅い車を抜き、何台もの速いクルマに抜かれ
あたりが暗くなりはじめた頃、ようやくカルロヴァッツに着いた。
平原の中にできた、ひろびろとした街だ。

カルロヴァッツから先には高速道路がある。
入り口は無人化されていて
自動発券機からチケットを引き抜くと目の前の遮断機が上がる。
制限速度は120km。平均的なクルマの流れは130kmくらい。
ボクもここではあまり飛ばさず、140km程度で巡航する。
中にはBMWの5シリーズやプジョーの605など
とんでもなく速いクルマがいて
まるでドイツみたいに飛ばしている。
この区間、道路にはほとんどカーブやアップダウンはない。
ただひたすら、平原の中を突き進むといった感じの道なのだ。

ザグレブに入る手前に料金所がある。
クロアチアディナールを持っていなかったので
「ドイツマルクでいいか?」と聞くと
もちろんOKだった。
今度はディナールでおつりをもらうことができた。




クロアチアの25ディナール札。
実寸は110mm×62mmと小さい。
独立後、最初に発行されたのは
このクロアチアディナールだったが
その後、デノミが行われたらしく
96年夏に訪れたときは
ドイツマルク新紙幣に似たデザインの
クーナ(Kuna)に変わっていた。


ザグレブもお気に入りの街なのだが
今回は立ち寄らないことにして
市街地に入る手前の分岐を東に向かい
少し行ったところから北に向きを変え
ハンガリーとの国境を目指す。
ここで北に向きを変えず、そのまま東に進めば
ジェリカの実家のあるシサック(Sisak)や
その先のベオグラードなどに道は通じている。



カルロヴァツから先は
ユーゴスラヴィア時代から
有料の高速道路が開通しており
ザグレブまでは約40km。
ザグレブから北に向かう道には
スロヴェニアのマリボル(Maribor)を経て
オーストリアのグラーツに向かう[M11]と
ハンガリーに向かう[M12]の2本がある。
ベオグラードまでは381kmあるが
グラーツまでは176km。
ウィーンまででも363kmしかない。


ハンガリーを夜間に通過するため
クロアチアでガソリンを入れておいたほうがいい。
北に向かって走りだしてすぐ
開いているガソリンスタンドを見つけた。
ガソリンの無鉛化は、ヨーロッパではドイツが早く
他の国はやや遅れていた。

9年前は、ユーゴスラヴィアで無鉛ガソリンを入れようとすると
ガソリンスタンドを何軒か探さなければならなかったが
今回は、どのスタンドにも
ちゃんと無鉛ガソリンがあった。
以前のような、外貨でチケットを買わないと
給油できないシステムも、今はない。



ユーゴスラヴィア時代の
ガソリンチケット。
ユーゴスラヴィア領内で
外国人が給油するためには
ホテルやツーリストインフォメーションで
外貨で払ってこのチケットを買わないと
給油してくれなかった。


ヴェネツィアから446km走って、39.41リットル。
1700ディナール/リットルで67,000ディナールだ。
「ドイツマルクで払いたい」と言うと
店員は電卓を叩き、液晶に現われた数字を見せてくれた。
39.00DMだった。約1マルク/リットルだから
ドイツよりかなり安い。
ま、これはドイツマルクが
クロアチアディナールに対して強いということだから
単純な比較はできないが
ドイツ人が大挙してやって来る理由のひとつではある。

給油を終え、なおも北上を続ける。
あたりはもう真っ暗だが、交通量は多い。
小さな町をいくつか抜け
小高い丘の上にある他よりちょっと大きな町に入ると
4〜5人の若い女の子のグループや家族連れ、老夫婦など
道の両側に、急にたくさんの人影が見えるようになった。
町の中心に向かうにつれて人の数は多くなる。

何だろうと思いつつ街の中心にさしかかると、フィエスタだった。
教会の横の空き地に張られたテントに
多くの人間が群がっていた。
ちょっと行きすぎたところでクルマを停めたボクは
歩いてテントに引き返した。