31 クロアチア飲んだくれツアー(2)


小高い丘の上にある街の中心には教会があり
教会のまわりの広場にはテントが4つ張られていた。
どのテントにも1m×2m程度のテーブルが10卓ほどある。
そのほとんどが人で埋まっているから
広場全体には、テントに入りきれない者も含め
200〜300人くらいはいただろう。


裸電球のぶら下がるテントの中には
老若男女合わせて200〜300人が
飲んだり食べたり歌ったり
ときにはバンドの演奏に合わせて
踊ったりしていた。
人気の曲になると、いきなり
隣に座った者と腕を組んで
みんなで身体を左右に揺すりながら
大声で合唱するさまは
ドイツのビアテントと変わらない。


飲んでいるのはビールかワイン。
食べているのは、各々のテントの脇で焼いている豚や鶏の丸焼き。
立ち昇る煙が、テントに吊るされた裸電球の明かりに
浮かび上がっている。
民謡風の調べを奏でる5〜6人のバンドが
各テントをまわって演奏している。
彼らがまわってくると
テントのみんなが演奏に合わせて歌い出す。
ボクは、こんな、名も知らぬ街のフィエスタが大好きだ。

とりあえず、ビールを1本買った。
“Ozujsko”という名のクロアチアのビール(Pivo)だ。
テントの脇の通路でそれを飲みながら
中にいる4〜5人のグループのオヤジに声をかけてみた。
英語がわかったのはひとりだけ。それもほんの少しだった。

別のオヤジが「ドイツ語はわからないのか?」とボクに聞く。
「イッヒ ハイセ YO'SHI~ アウス ヤパン」
「ヴァス イスト ディーゼ フィエスタ?」
などと、超でたらめなドイツ語?で応対していると
学生風の、英語のわかる若者がやってきた。
彼に聞いて、やっと、この祭りが何であるかがわかった。
この日は「セント ジョンズ デイ」なのだった。

これから1週間、この広場は毎晩このように賑わうらしい。
例によって“ボクはヨーロッパの中でもこのあたりが好きで
クロアチアには何度も来たことがある”
“クロアチアの人はみんな親切で
女の子はかわいくて、食べ物は美味しい”など
一般的な話題に始まり
「日本では戦争のニュースを聞くが、このあたりはどうなのだ?」
と、気になっていたことを聞いてみた。

すると「戦争をしているのは海沿いの一部の地域で
このあたりはこんなに平和なのだ」と、手を広げて広場を指した。
確かに、この広場の光景は
一部の地域で戦争をしている国とは思えない平和さに満ちている。

テントのまわりには屋台が何軒か出ていた。
おもちゃ、花火、花束、お菓子、サンドイッチ
アイスクリームなどを売っている。
その中に一軒、カセットテープを売る店があった。
4〜5人の若者が店番をしている。
いろんなタイトルがあるが
どれもクロアチア語で書いてあるのでわからない。
足元にデッキとギターアンプみたいなのを置いて
売り物のなかから適当なのを選んで流している。

しばらく聞いていると、教会のお祭り用の歌曲集みたいなのが鳴った。
民謡風の調べに乗って、ときどき“マリア”なんて歌詞が聴きとれる。
「今かかっているのがほしい」と頼んだら
カセットデッキからテープを出して渡してくれた。

ビールを飲んでいたこともあって
すっかり気分の良くなったボクは
とても楽しく、なぜだかちょっぴりなつかしいフィエスタの雰囲気に
気がついたら1時間も足留めを食らっていた。
そろそろ先に進まなければならない。
ボクは、カメラを取りにクルマまで引き返し
テープ売りのみんなと、ライトに浮かぶ教会の写真を撮って
ゼリナ(Zelina)の街をあとにした。