34 ハンガリーへの入国

完全な泥酔運転だ。
鼓動は速く、身体じゅうがだるい。
予想外にアドレナリンの分泌が盛んになったからだろうか
意識だけはまるで他人のように冴えわたっていたから
運転にはまったく問題ないように感じられた。
国境までの残りの道のりは100km。
うまくいけば、明るくなる前にハンガリーに入国できそうだ。

ところが、運転を再開して30分くらいすると
空を飛んでいるような不思議な感覚が襲ってきた。
窓を全開にして顔を出したり
大声で歌を歌ったり
ときには思い切り頬をつねってみたりするが
不思議な感覚は消えない。
睡魔と酔魔がいっしょにやってきたのだろう。

どうにもこうにも我慢できなくなったボクは
道端の空き地にクルマを停め
運転席のシートを倒して仰向けになった。
酸欠になるといけないので、サンルーフを少し開けた。
寒いので毛布にくるまった。
こんなこともあろうかと、飛行機内で調達した毛布だ。
次の瞬間に眠りに落ちた。

どれほど寝ただろうか…、寒さと尿意のために目が覚めた。
空の一部がほのかに明るかったが、あたりはまだ真っ暗。
クルマの後ろにまわっておしっこをする。
と、そのとき、クルマの下で物音が…。
“ぎょ!”っとして目を凝らすと、野良犬だった。

おしっこは、かなり溜まっていたため
途中で止めるわけにもいかず
大事なところに噛みつかれでもしたら大変だという
恐怖感と闘いながらも
最後まで無事、出し終えた。
犬の神経に触ることのないように
そ〜っとクルマのドアを開け、静かに乗り込んだ。
この一件で目が覚めてしまったボクは
再び国境目指して走りだした。

午前4時。
あたりがぼんやりと明るくなってきたところで国境に着いた。
このあたりでは、ドナウの支流・ドラバ川の
そのまた支流・ムーラ川が
クロアチアとハンガリーの国境になっている。

Zelinaから、なおも[M12]を
ほぼ真北に46km進むと
Drava川(源流はオーストリアの
クラーゲンフルト付近)に臨む
Varazdinの街に入る。
クロアチア最北端に近いこの街は
各地への道路と鉄道が交錯する
交通の要衝でもある。
ここから北東に向きを変えると
約40kmでハンガリー国境だ。


クロアチアの出国は、パスポートを見せるだけでOK。
上がったままの遮断機をくぐり
オレンジ色のナトリウム灯に照らされた橋を渡ると
ハンガリーだった。
係官に停止を命じられたボクがパスポートを見せると
彼はペラペラとページをめくり
期限の切れたハンガリーのVISAをしばらく眺めた後
「ノー ポシブル!」と言った。

“もうVISAは要らなくなっているだろう”
という予想は当らなかった。
でも、この前のVISAだって国境で発行してもらったから
ここでもできるはずだ。
身振り手振りで
“ハンガリーを通過してウィーンに行きたい”ことを伝えると
係官はブースの横の建物の中にボクを案内した。
彼が電気の消えた窓をノックすると
しばらくして電気がつき
中から寝起き顔の恐そうな女性が現われた。

「写真を持ってるか」と聞かれたので
5年前に撮ったのがバレて
国際免許に使えなかった写真を出したら
「2枚いる」と言われた。
「持ってない」と答えると
「アハトウントフィアツィッヒドイチュマルク!」
という返事が返ってきた。
写真代+VISA発行手数料らしい。

しばらくして、恐いババァが
ポラロイドカメラを持って出てきた。
言われるまま、白い壁を背景にして立ち
写真を撮ってもらった。
できあがった写真は、ピンぼけの“もよもよ”っとした仕上がり。
“たまにはレンズくらい拭けよな”と言いたくなる。
48マルクと引き換えに
写真を貼りつけた出入国カードと
VISAを貼りつけたパスポートをボクに渡したババァは
一目散に窓口の電気を消し、裏の部屋に消えた。

アハトウントフィアツィッヒ
ドイチュマルクの入国VISA。
通過VISAのつもりだったのに
シングルエントリーではあるが
30日の滞在ができるVISAだった。
VISA(マジャール語ではVIZUM)の
左下にあるのが割り印で
上の2つが入・出国スタンプ。


VISAの発行に要した時間、およそ30分。
ハンガリーに入ってしばらく走ると
北東の空に6月21日の太陽が姿を現わした。