33 クロアチア飲んだくれツアー(4)


クルマから降りてもう一度バーに入ると
女の子はうれしそうに迎えてくれた。
上唇をほんの少し尖らせ
澄んだ琥珀色の瞳を大きく見開いて微笑んでいる。
完全にボクの負けだった。
“もうちょっとだけここに居よう…
そんなに急ぎの旅じゃないよな”
と、自分で自分を納得させた。

今度はビールを頼んだ。
出てきたのは0.33リットル入りのボトル。
彼女に注いでもらって
となりに座っているヤセ型の男と乾杯した。
1杯目はすぐになくなった。
ほとんどアルコールはダメなのに
飲みっぷりだけは威勢がいいから
“こいつは飲めるんだな”って誤解されることがよくある。
このときもそうだった。
店にいる連中も正体不明の東洋人に慣れたのか
その中のひとりが2杯目をおごってくれた。
今度は0.5リットル瓶だ。

“マズいことになってきたな”と思いつつ
おごってくれたオヤジと乾杯した。
“このへんで止めとかないと運転できなくなるな”
でも、ここで飲まないのはおごってくれた相手に失礼だ。
2杯目もすぐに空いた。続いて3本目も…。
自分が酒に弱いのは十分わかっているのだが
ついつい雰囲気に飲まれてしまう。

かなり酔ってきたところで
現場検証を終えた警官が店に入ってきた。
どこの国だって、酒を飲んで運転していいはずがない。
ボクは彼女のほうを見た。
そして、目で“警官が来てるけど大丈夫かな?”と聞いた。
彼女は笑いながら肩をすくめた。
入り口に近いところに座っていた男と
二言三言、言葉を交わすと
警官はパトカーに乗って暗闇の中に消えた。

入れ替わるようにして、何人かの客がやってきた。
ほとんどみんな常連らしい。
新しく入ってきた客のひとりが、ボクのカメラに興味を示した。
「いいカメラだな…、フォトグラファーなのか?」と
彼はしっかりした英語で話しかけてきた。

ボクが自分の仕事のことを話し、名詞代りに
IRRPA(International Road Race Press Association)の
クレデンシャルを見せると
彼はポケットから
FIM(Federation of Internatinal Motorcycling)の
身分証明書を出した。


FIM世界選手権ロードレース(GP)の
年間メディアパス。
(通称イルパ・パーマネントパス)
こいつを首からぶら下げていれば
年間約15戦のGPには
事前の申請なしで取材に行ける。


クロアチアのオートバイレースのオフィシャルだった。
同じオートバイレースの関係者だ。
彼もまた、ボクにビールをおごってくれた。
もう、ハンガリーに行くことなんかどうでも良かった。
“ぶっ倒れるまで飲んだら
彼女は介抱してくれるだろうか?”なんて
不遜な考えが、ちらっと頭をかすめる。

レース関係者のオヤジが、ボクのカメラを構えた。
「オマエの写真を撮ってやろう」というのだ。
「じゃ、いっしょに撮ってもらおう」
ボクは、最初の1杯をおごってくれたヤセ男にカメラを渡し
露出やピントの調整をし、ストロボのスイッチを入れてから
レース関係者のオヤジといっしょに並んだ。

次に、やせ男はカウンターの中の彼女にレンズを向けた。
今度はボクがストップをかけた。
「待て! 撮るならオレといっしょだ」
調子に乗ったボクはカウンターの中に入り込み
彼女の横に並んだ。その瞬間、ストロボが光った。
「もう1枚撮れ」ボクはやせ男に頼んだ。
本当は写真などどうでもよかった。
ただ彼女の至近距離にいたかっただけだ。


ヤセ男は、普通に横位置に
カメラを構えていたので
実は、にっこり笑った彼女も
ちゃんと写っているのですが
インターネットの場合はとくに
肖像権に配慮しなければならず
お見せできないのが残念です。

撮影が終わってカウンターの外に出ると
また何人かがビールをおごってやると言いだしたが
いくらなんでも、もう限界に近かった。
彼女は相変わらず、忙しく店内を動きまわっている。
それを見ていると、なぜだかとっても幸せな気分になってくる。

と、そのときだ。
外から一人の男が入ってきて、いきなり店内の照明を消した。
どうやら、その男がこのバーの主人で
最初ちょっと気になった彼女の左手に
指輪をはめさせた張本人らしい。
照明が消えたのは一瞬だったが
その間に彼女の表情は変わってしまっていた。

店の男たちは、次々と勘定を払い、外へ姿を消した。
ボクにも、そろそろ引き揚げる時間がやってきたようだ。
後ろ髪を引かれる思いで、ボクはその店を後にした。
“彼女も、きっとそう感じているに違いない”
あの瞳を思い浮かべながら、ボクはそう確信した。
どうやら、ボクたちの出会いは10年近く遅すぎたようだ。