74 ヨーロッパGP・決勝

さて、今回の取材ツアー最後の仕事となる
1993年・世界選手権ロードレース第8戦・
ヨーロッパGPの決勝が始まった。
このレースがヨーロッパGPと呼ばれるのは
1年に1回しか、開催国の名前を冠したグランプリを
行ってはいけないと決まっているからだ。

スペインGPという名のレースは
すでに5月に、スペイン最南端に近いヘレスで開かれたから
今回のレースをスペインGPと呼ぶことはできないのだ。
で、ヨーロッパGPという適当な名前を付けているが
実質的には今年2回目のスペインGP
(またはカタルーニャGP)なのである。

決勝レースに先立って、9時半からフリー走行が開始される。
スタート位置は、金曜・土曜の予選ですでに決まっているから
フリー走行では主に、タイヤやマシンの仕様の確認や
ライダー自身のウォーミングアップが行われる。
9時半から250ccクラス、10時から500cc、10時半から125ccというのは
ヨーロッパで行われるすべてのGPに共通した時間割りだ。
TV放映の都合を優先させた結果、そうなったといわれている。
ちなみに、年間レースカレンダーも
できるだけクルマのF1GPをはじめ
メジャーなスポーツイベントとカチ合わないように決定されている。

ところが、この日、カタルーニャサーキットでは
TV局が一番恐れる事態が発生した。
強風による進行の遅れである。
250ccのフリー走行が終わって間もなく、暴風にあおられて
コースのいたるところにある広告の看板が飛び散ったのだ。
コースを跨いで設置されていた
大人の背丈ほどもあるマールボロ看板の破片が
スタートライン上に散らばるなど、並みの強風ではなかった。
看板の回収と補強のため
500ccのフリー走行開始は2時間ほど遅れた。
決勝を控えたライダーの心理に
いつ再開されるともわからない進行の遅れが
良い影響を与えるはずはない。

まさか進行の遅れの影響ではないだろうが
この日最初の決勝である250ccのレースが始まってすぐ
ボクの見ている前で、期待の原田がマシントラブルでリタイア。
続く500ccのレースでも、同じ場所で伊藤が転倒。



(左)ここカタルーニャでは惜しくもリタイアしたが
シーズンを通じてチャンピオン争いを繰り広げ
最終戦で見事に逆転タイトルを獲得した原田
16年ぶり、2人目の日本人ワールドチャンピオンとなった。
(下)原田のリタイア後、トップに立った岡田
ビアッジに競り負けたものの、2位に入賞。
以後の快進撃のきっかけをつかんだ。






500ccクラスではウェイン・レイニーが優勝。
4連覇を狙う'90〜'92のワールドチャンピオンはしかし
この年のイタリアGPで起こった不幸な事故により
現役ライダーとしての活躍に終止符を打った。
私が最も敬愛し、尊敬するライダーだった。


これで125ccで日本人ライダーがダメだったら
原稿を書くには困らないが、読んだ読者はつまらなかっただろう。
そんな心配をよそに、125ccクラスの7人の日本人ライダーは頑張った。
チャンピオン候補の坂田はリタイアしたが
上田、斉藤、辻村の3人がトップグループにつけて接戦を繰り広げ
最後の最後で勝負に出た上田が今季初優勝を飾った。

 最初に手を挙げたのは上田だった。ワルド
マンとの差0・061秒。スタートからゴー
ルまで、息をつかせぬ激しいレースの、ぎり
ぎりのところでつかみ取った勝利だった。
 ウィニングランを終えた上田は、チームク
ルーからイタリア流の過激な祝福を受けて表
彰台に登った。今年のGPで7回目の君が代
が流れ、続いて上田は、2年間のGP生活で
身につけた最高のパフォーマンスでシャンペ
ンファイトを演じていた。
 表彰台の下では、原田と坂田が、約束を果
たした上田と、GP初の表彰台を得た斉藤を
見守っていた。二人とも、ここではマシント
ラブルでリタイアしていたが、狂喜する上田
を見上げる顔は、どちらも、すがすがしさに
満ちていた。
(ライディングスポーツ誌1993年9月号より)


最小排気量125ccクラスに参戦する
日本人ライダー中、現役最古参の上田
'93シーズンの優勝はこれ1戦のみだったが
初挑戦の'91シーズン以来
常にトップコンテンダーの一員として
タイトル争いに加わっている。


あとは、日本時間で月曜正午締め切りの
速報用の原稿を仕上げるだけとなったボクは
火曜日の午後9時にフランクフルトを出るまでの短い時間を
いかにして楽しむかに心を奪われていた。