75 地中海沿岸を走り抜け、コモへ

ヨーロッパGPの取材を終えたボクとWさんは
カタルーニャサーキットを出て、そのまま北に向かう。
帰国のフライトは、どちらもフランクフルトから。
ボクは7月6日の21時10分発だが、Wさんは朝8時発だから
遅くとも34時間後にはフランクフルトに着かなければならない。

バルセロナ〜フランクフルト間は約1,300km。
移動に13時間、途中の2泊に7時間づつ使うとしても
34−13−14=7だから、まだ7時間ヨーロッパで遊べる!
北に向かって走りながら
この7時間の使いみちについてあれこれと策を練った。
ミシュランの地図帳を広げながら
「あまり遠くへは行けませんねぇ…」と、Wさん。
「そうですねぇ…、じゃ、ちょっとだけ寄り道して
アルプスを越えましょうか?」
山が大好きなWさんが、この案に反対するはずはなかった。

短時間でアルプスを越えるとなると、ルートは限定される。
プロヴァンスから北上し
来たときと同じ道でスイスに入るか
地中海沿いにイタリアまで行き
トリノからサン・ベルナール峠を越えるか
ミラノからシンプロン峠、ゴタード峠
ベルナルディーノ峠のどれかを越えるか
それともブレンナー峠を越え
オーストリア経由でドイツに入るかだ。
来たときと同じ道よりは違う道を通りたいし
ブレンナー経由では時間がかかりすぎるので
ミラノ経由の3つのルートのうちどれかが有力候補だった。


バルセロナからの帰路は
とにかく距離を稼ぐため
アウトピスタとアウトルートを激走。
ショートカットのため
ニーム〜サラン間は一般道を走る。
この夜は約550km走って
ホテルにチェックインした。
翌日も地中海沿いに
アウトルートとアウトストラーダを
ジェノヴァへ、そしてミラノへと激走し
昼すぎにコモに到着した。


しかし、ミラノまで突っ走るわけにはいかない。
ボクが日本時間で月曜正午必着の原稿を抱えていたからだ。
書くのに2時間かかるとして
午前3時にはどこかのホテルにチェックインしたい。
走りはじめてしばらくすると、Wさんが居眠りをはじめた。
だが、ここで泊まると、翌日の移動距離が長すぎる。

“せめてフランクフルトまで
1,000kmを切ってから泊まらないと…”
そう考えたボクは、なおもアクセルを踏み続け
午前2時、マルセイユとニースの中間付近の
サービスエリアに入った。
エリアの標識に“Hotel”の文字を見つけたからだ。

山の中にある小さなエリアに付属したホテルには
泊まり客も少なく
カフェバーの兄ちゃんが
めんどくさそうに部屋に案内してくれた。
部屋に入って間もなく、Wさんは深い眠りに落ちた。
ボクの仕事は予想外にはかどり、珍しく、締め切り前に完成した。
ホテルの電話では通信できなかったのでPCを抱えて表に出
駐車場にある公衆電話にカプラーを当てて原稿を送った。

ヨーロッパ滞在中に書かなければならない原稿が
すべて終わったうれしさのあまり
部屋に戻っても眠たくなかったボクは
旅行記の続きを1本書き
カフェバーでケーキとコーヒーの夜食をとっていると
いつの間にか夜が明けた。
Wさんを起こして、カフェバーでゆっくりと朝食をとってから
地中海沿いのオートルート[A8]の続きを
イタリアめざして爆走した。

ミラノに着いたら、12時を過ぎていた。
ちょうどいい。ミラノからコモは近い。コモ湖で昼食だ!
初めて見るコモの街は
細長いコモ湖の短辺に沿った美しいリゾート地だった。

石畳が敷き詰められた中心街をのろのろと走っていると
道路脇の商店から出てきたオヤジが
いきなり「ドモアリガトウ」と叫んだ。
ここにも、けっこう日本人観光客がやって来るのかな?

中心街にはパーキングが少なく
気に入った店も見当たらないので
われわれは湖畔の道をドライブしながらレストランを探した。
何となくいい感じの店がありそうな予感がしたので
小さな波止場の横にクルマを停め
そこから遊歩道を奥に向かって歩いていった。
やはり…、予感は正しかった。
波止場から数十メートルのところで
ヨーロッパ最後の昼食をとるにふさわしい店をみつけた。
“Ristorante Pizzeria FUNICOLARE”

アルプスのふところに分け入るように延びる湖水の輝きと
その向こうに幾重にも重なる山々から降りてくる心地良い涼風。
庭に植えられたプラタナスの老木から洩れる夏の陽射しも
ここでは空気の透明感をひきたたせる脇役に徹している。
ロケーションも、シーズンも、天候も
そして、背後にある白壁の厨房から運ばれてくる
ワインと料理の味も
何もかもが最高だった。