対人関係の基本であり、潤滑剤でもある『挨拶』
(ライディングスポーツ 96年12月号)

                         
 「ボンジュ〜ムッシュー」            
 「ぼんじゅーる。こんびあん?」         
 「スワサンッ ディッフラン」          
 「………」                   
 「メルスィ」                  
 「どねむわ、あん るしゅー すぃるぶーぶれ」  
 「ウィー ヴワラ」               
 「めるすぃー、おーるヴぉわーる」        
 「オルヴォワ〜ムシュー」            
  フランスの高速道路の料金所でのこと。もちろん 
 料金所のおねーさんとボクとの会話。長距離ドライ 
 ブの途中で、張り詰めた気分が安らぐ一瞬だ。フラ 
 ンスだけじゃない。ドイツ語圏ならたいていどんな 
 お店に入っても、帰りには「ヴィーダーゼーン」だ 
 し、その前に、何か買っても買わなくても、必ずど 
 こかで一言、挨拶をしてくれる。         
  ところが、こういった場面で終始無言なのが日本 
 の常。買い物のときはもちろん、ゲレンデでたまた 
 まペアリフトに乗り合わせたときだって同じだ。ど 
 うして日本人って、こんなにしゃべらなくなってし 
 まったんだろう? どう見ても日本語が話せないと 
 は思えない相手を真横に置きながら「終点です。足 
 掛けをお上げください……」までの間、何で黙って 
 居心地の悪さに耐えなきゃならないんだろう?   
  でも、考えてみれば、相手だってそう思っている 
 かもしれない。自分が無言だったために相手に居心 
 地の悪い思いをさせているかもしれない。外国に行 
 ったときなら、言葉がわからないとかタイミングが 
 つかめないなどという問題があるかも知れない。で 
 も、日本のスキー場で、それはないはず。     
  きっかけは、やはり『挨拶』ではないかと思う。 
 順番待ちの列の先頭から前に進み、搬器に腰を降ろ 
 すまでの間にひとこと「こんにちわ」でも「お願い 
 します」でも何でもいいから声をかけると、それだ 
 けで後の展開がずいぶん変わってくる。遅くとも、 
 最初の“カタカタカタカタ”が済んで、次の“カタ 
 ンカタン”までが勝負だ。            
  例外を期待するなとはいわないが、一応、終点に 
 着いたら終わりで、二度と会わないはずの相手だか 
 ら、仮にどんなに恥ずかしい思いをしたって、それ 
 はそれでいいじゃないか……。『旅の恥はかき捨て』
 ってのは、こういうことをいうのだと思う。恥ずか 
 しがって何もできないひとに『いろんなことにチャ 
 レンジしなさい。失敗したって、後で「おまえ、こ 
 んな失敗したろう」って言われる心配はありません 
 よ』と、勇気づける言葉のはず。決して、恥ずかし 
 げもなく『眉をひそめるようなこと』を平気でして 
 しまうひとの行為を擁護するものではない。    
 『倉廩(そうりん)実ちて礼節を知る』という言葉 
 があるように、なるほど見かけは豊かになったかも 
 知れないが、まだまだひとの心に余裕が生まれるま 
 でには至らない経済大国(最近怪しいが)ニッポン 
 に住む人間の、これが、外に出て一番気を付けなけ 
 ればならないことであるように思う。いや、もしか 
 すると、礼節を知らなければ、ホントは倉廩は実ち 
 ないのかも知れない。              
 『偉い!』と思ったのは、AビールのH会長。たま 
 たま同席させていただいた懐石の席で、料理が運ば 
 れて来るたび、うつわが下げられるごとに、給仕の 
 人に向かって「ありがとう」と、大きな声でにこや 
 かに挨拶されていたのが強く印象に残っている。  
  「ありがとう」や「さようなら」が何となく気は 
 ずかしいというのなら「どーも」でもいい。『どー 
 も』の便利さはイタリア語の『チャオ』に匹敵する。
 『OK』や『バイバイ』がどの国でも通じるのは、 
 やはり便利だからだ。今や『チャオ』もけっこう通 
 じる。だから、日本人が頑張れば、そのうち『ドー 
 モ』も、立派な国際語になるかもしれない。    
  ともあれ、海外でだろうが国内でだろうが『旅の 
 恥はかき捨て』の精神を忘れず、人と人との出会い 
 を楽しみたいものである。            
                         


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