XJ900の爽快チューン
2009年6月22日 - 復活を確信できれば、何度も確認する必要はない。
     
 わが人生で、最も乗れているのは今である。20日の朝練の前に同じことを自問自答した答えは“27年前の今ごろ、 GX500で鈴鹿スカイラインを走っていたとき”だった。
 27年前ということは、1982年である。あの年は、RZ250改350でノービスTT・F3クラスのレースに出場すべく鈴鹿サーキットを走ったり、予選に出場したりもしていた。が、借り物のF3レーサーでサーキットを走っているときよりも、 GX500で峠道を攻めているときのほうが、はるかに
“乗れている”実感があった。
 ところが、その状態は長続きしなかった。7月2日に大事故にあい、しばらくバイクに乗れない/自分のマシンを所有しない時期が続いたからだ。3年後にようやくXJ750Eを入手したものの、そのままでは攻めた走りをする気にならず、大改造を目論みはしたが計画倒れ。以後10年近くバイクに乗らない生活が続いた。
 長いブランクからの復帰は2000年の8月。 再びXJ750Eを手に入れ、ライダーとしてのリハビリをしつつ改造していくはずだったのに、1年も経たないうちに盗難にあい、その腹いせに衝動買いしたのが 今のXJ900だった…といった話は、2000年頃のバイカーズステーション誌にも書いた。その後の模様は “XJ900の爽快

チューン”に綴ったとおりである。
 つまり、あの27年前の7月2日の事故のあと、乗り手としての自分は、ただの一度も“乗れている”と感じることなく、ここまでずるずるやってきてしまったというわけだ。
 だからといって不満があったわけではない。BS誌の連載や、去年の2月3日以降のこのダイアリーをご覧になればおわかりのように、マシンの完成度が高まれば高まるほど、それをじっくり味わいながら走るのが楽しくなっていったからだ。
 だが、根がレースメカだから、ほとんど使わないとはいえ、トップエンド付近のキャブセッティングをち
ゃんとしておきたいとか、峠道やサ
ーキットを攻めた場合にも破綻しない足まわりにしておきたい…などの目標は失っていなかったし、その達成のために、項目ごとに個別のテスト走行と評価をしてはいた。
 しかし、テストというのは、受動的になりやすい。条件を設定して、それに合わせた走りをし、そのときのマシンの反応に注意力を集中し、情報を集める…。チューニングに欠かせない“テスト”ではあるが、ときには、上に“ほとんど使わない”
と書いた状況での成果も味わってみたい。その気にさせたのが3月から続けてきたフロントフォークいじり

の結果であり、和歌山利宏のライテクコーチングの経験だった。
 以後、2週間にわたるセッティングの見直しとテスト走行により、自分の中に、かつて最も乗れていた頃のような自信がみなぎってきた。受動的ではなく、能動的な走り。私にとって“乗れている”というのは、安全マージンをまったく削ることなく、完全に支配下に置いたままマシンの能力を可能な限り引き出した状態…とでも言えばいいだろうか。
 その状態に、たぶん、明日の朝練で到達するはずだ…。そこで、27年前よりも“乗れている”のを試し、ライダーとしての復活を確認したい
…と思ったのが19日の夜。奇しくも翌6月20日は、7年前にXJ900のカウリングを撤去し、メーターを0に戻した記念日だった。
 明けて20日の朝は、走りだす前からゴキゲンだった。かといって浮き足立って集中力を欠くことはなく、むしろ逆に、自信に裏打ちされた静かな闘志がみなぎっていた。7年間で最も高揚した気持ちで待ち合わせ場所までのコースを走りだし、これまでで最も速く最も安全に、そしてマシンを完全に支配下に置いて走ることができた。その間約30km。もうこれで充分だった。乗れていることを確認し、復活を確信した。


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